自身の体験を話す龍野繁子さん 撮影鈴木祐太
自身の体験を話す龍野繁子さん 撮影鈴木祐太

 

「私も私の生徒も無事でしたが、仲良しのトシちゃんが死亡しました」

龍野さんは表情を曇らせた。この爆弾による死者は7人、けが人は73人と「大阪大空襲」(小山仁示著)に記録が残っている。

空襲は通常、編隊を組んだ爆撃機で行われる。編隊が来る前に1機が偵察に来る。龍野さんはその偵察機だと思った。その後に編隊が来るのかと思っていたが、それがいきなり大きな爆弾1発を落とし、あたり一面に被害を与えたので鮮烈な記憶として残っているのだという。

住宅街に突如現れた1機の爆撃機。そして、そこから落とされた大きな1発の爆弾。それが原爆投下に向けた米軍の訓練だったと龍野が知るのは、それからほぼ半世紀後のことだった。続きを見る>>

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