龍野さんは、としちゃんが米兵の訓練のために殺されたと知って、悔しくて涙が止まらなかったという。
「姉と母が、『あの時、自宅に戻るのを止めといたら...』と言いながら、トシちゃんの背中に刺さった無数のガラス片を泣きながら抜いていました。トシちゃんはもうこと切れていて、私は呆然と立っているだけでした」。
その惨劇から70年経った2015年7月26日。
この模擬原爆の犠牲になった人を慰霊する集会が開かれた。場所は爆弾が落とされた料亭跡近くの路上。龍野さんをはじめ、広島原爆や大阪空襲の被害者、地元 の住民や小中学生など250人が参加した。車2台がやっと行き来できるほどの道路は参加者で埋め尽くされた。地元の有志で数年前から細々と開かれてきた集 会は、戦後70年の年に過去最大の規模となった。
龍野さんはその場に集まってくれた小中学生に語り掛けた。そして、トシちゃんについて伝え、次の様に話した。
「戦争っていうのは、本当に理不尽なものなんです。絶対にやっちゃいけません」
原爆での犠牲、そしてその訓練のための犠牲...何れも理不尽極まりない。龍野さんは、語りながら悔しさを新たにせざるを得なかった。
しかし、その理不尽な犠牲は大阪だけのことではなかった。続きを見る>>
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