イスラエルの「イェシュ・グヴウル」
建国以来、絶えず「臨戦状態」にあるイスラエルではどうか。イスラエルでは男女ともに兵役が義務づけられているが、兵役拒否は権利として保障されていない。兵役拒否者は絶対的少数者であり、就職や家族関係にも影響が出るなど社会から向けられる目は非常に厳しい。
「そのイスラエルには拒否者自身による兵役拒否支援団体『イェシュ・グヴウル』というのがありますが、彼らは徴兵制の廃止は求めていません。徴兵制 があることで、軍は職業軍隊ではなく市民の軍隊にとどまることができる、市民が入っていることが大切だという考え方です。たとえば米軍は、志願兵制となっ たことで一部の人たちだけが戦場へ行き、裕福な層は戦場へ行かずに安全でいられるシステムになりました。必然的に関心は薄まり、戦争に至りやすくなった側 面があります」
ある自衛官の言葉「とんでもない命令をする政府を作らないで」
戦場にあっても、兵士には国際法や交戦規定を守る義務がある。しかし、すぐに行動しないと自分が殺されるかもしれないという緊迫した状況にも遭遇する。
「国際法廷では、違法なあるいは人道に反する命令を下した上官のみならず、その命令に従った部下も裁かれます。そんな中で〝自身で判断をくださない といけない〟というのは相当に大きなプレッシャーです。そういう状況にならないよう、もっと前の段階で踏みとどまれるようにしないといけません。それは兵 士だけの問題ではなく、誰もが社会の一員として考えなければならないことです」
近代日本で兵役拒否をした人は、キリスト教徒などごくわずか。
「まず日本には、個人として国家に対峙するという発想がなかったですし、軍隊の側も拒否者に対してどう対処していいのかわからず、現場レベルでは黙殺されていた例もあります。そして今も、日本国憲法には兵役拒否に関する明確な規定はありません」
そして、ある自衛官の言葉を紹介してくれた。
「私たちは、命令があれば行かざるをえません。だから、みなさんが、とんでもない命令をくだす政府をつくらないでください」
NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」では、戦後の焼け野原で、「どないしたらこんなふうにならんかったんやろうか」と主人公が自問し、「おかしい思おたら言わなあかん。これは、無力な大人の責任や」と長男につぶやくシーンがある。
「その言葉にとても共感します。日本では周りに合わせるということが優先され、異議を唱えたり、質問したりすることさえ歓迎されない風潮があります が、おかしいと思うことはおかしいと言わないといけません。兵役拒否とは、大きな存在である国家に一人で異議を唱えることでもあります。小さくてもそんな 一人ひとりの自覚や行動が、社会を変えていくのだと思います」
(文:松岡理絵)
いちかわ・ひろみ
京都女子大学法学部教授。同志社大学文学部、大阪大学法学部卒業。神戸大学法学研究科修了。専門は国際関係論・平和研究。著書に『兵役拒否の思想─市民的 不服従の理念と展開』(明石書店)。共著に『地域紛争の構図 』(晃洋書房)、『国際関係のなかの子ども』(御茶の水書房)ほか。
※本稿は「ビッグイシュー日本版」252号に掲載されたものです。