栗色の髪の美しい少女ほど先に部屋から連れ出されて帰ってくることはなかった。少女たちは床の埃(ほこり)を顔にこすりつけ、少しでもみすぼらしく見せようと必死になった。姉妹のグループはその後、イラク・モスル近郊の村の兵舎へと連れて行かれた。
戦闘員たちはケーブルで殴りつけながら、「ヤズディ教は悪魔崇拝だ。イスラムに改宗しろ」と何度も迫った。妹のブシュラさんは性の相手をするよう迫られ、拒むと殴りつけられたうえ、息子を取り上げられた。数日後に息子は手元に戻されたが、衰弱していて、のちに息絶えた。ISは拉致女性を「戦利品であり奴隷とする」と機関誌で公表。数千人に及ぶ拉致女性が売買の対象にされ、戦闘員やその協力者と強制結婚させられた。
米軍はヤズディ教徒の保護などを名目に、イラク空爆を開始。9月6日夜、姉妹らが監禁された兵舎近くに空爆が迫った。戦闘員が一斉に持ち場を離れた すきを見て姉妹は脱出を決意。闇夜のなか、月の方角を頼りにクルド自治区のある北東を目指した。
同情した羊飼いの男に道を教えてもらいながらIS支配地域 を脱出し、携帯電話の電波が届く地域にたどり着き、家族と再会できた。「どうして今の時代にこんなことが......。あんな非道を繰り返す彼らを神は許すのでしょうか」マハヤさんはうなだれて、目を覆った。いくつもの宗教や民族からなるイラク。ともに暮らしてきた人びとを、イラク戦争後の混乱と過激主義が引き裂いた。その傷はあまりに深い。【玉本英子】
※メディアでは「ヤジディ」と表記されていますが本稿では本来の発音に近いヤズディとします。
※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」9月1日付記事に加筆修正したものです
◆第1部「ヤズディ(ヤジディ)の習俗、文化、迫害の歴史」(1~7)一覧
◆第2部「イスラム国侵攻後のヤズディ居住地現地取材と女性拉致被害」(1~7) 一覧