◆夫はISに射殺
女性(20)に会ったのは、昨年9月。武装組織イスラム国(IS)の男と強制結婚させられ、命がけで逃れてきたばかりだった。「私の人生は終わったも同じ」。彼女は自分を襲った悲劇を語り始めた。
イラク北西部シンジャルは、少数宗教ヤズディ教徒が暮らす地域だった。昨年、ISは大部隊で町や村を襲撃、わずかな武器の自警団にはどうすることも できなかった。彼女は幼い息子を抱えて夫とともに逃れたが、途中で戦闘員に捕まった。村の男たちは、その場で射殺された。 夫も撃ち殺されたという。ヤズディ女性はバスで大都市モスルに移送される。結婚式場のようなホールに監禁されたが、すでに別の場所から集められてきた女性たちであふれていた。戦闘員は、未婚の若い娘から連れ出して行った。イスラムでは姦淫(かんいん)は禁止だ。だが、「結婚」という形をとればかまわない、とISは教義を解釈し、ヤズディ女性をイスラム教に改宗させて、結婚相手にしたり、「奴隷」として売り買いの対象とした。同郷の二人は部屋の片隅で自ら命を絶った。彼女も自殺を考えたが、一緒に拉致された幼い息子と、お腹のなかにいた子どもが思いとどまらせた。
彼女はある中年男と結婚させられた。男の家では妻としての生活を強いられる。2週間後の夜更け、男が寝た隙(すき)に子どもを抱え、外に 出た。捕まればきっと殺される、そう思いながらも覚悟を決めたという。夜が明け始めた頃、通りにいた男性に近づき、自分がヤズディ教徒で戦闘員から逃げて きたと告げた。彼はひどく心を痛め、家にかくまってくれた。数日後、男性の知人のクルド人が脱出を手配。偽の身分証でISの検問所を抜けた。そして安全な クルド自治区にたどり着き、親戚と再会した。彼女が脱出できたのは奇跡といえる。1000人以上のヤズディ女性が今も捕らわれたままといわれる。米軍や有志連合などの空爆は、IS拠点や幹部の家を狙う。爆撃に巻き込まれ、死んだ拉致女性もかなりの数にのぼると思われる。
拉致から1年。私は何度か彼女のもとを訪れた。こわばっていた表情も、少しずつ落ち着いてきたように見えた。今年1月、夫との間にできたお腹の子が生まれた。私に見せてくれた結婚写真には、ウエディングドレスの彼女と、黒いジャケットを着た24歳の夫が写っていた。「優しい夫はいつも心の 中にいる。子どものため、そして自分のためにも強く生きたい」
ISに拉致されたヤズディ教徒を受け入れるとドイツ政府は表明。言葉や文化も違う外国より、親戚の元にとどまりたいと思う彼女だったが、 「ISに陵辱された」というトラウマにも苦しめられていた。9月末、2人の息子とともに、ドイツに向かった。2年間、メンタルケアを受ける予定だ。 先日、ドイツのある町から、携帯電話で撮った写真が送られてきた。そこには緑の芝生の上で子どもを抱く、笑顔の姿があった。【文と写真・玉本英子】(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」11月3日付記事に加筆修正したものです)