広島・長崎の原爆が投下するために、米軍によって日本各地で行われた模擬原爆の投下訓練。模擬原爆とは、原爆と同じ重さ、形状の爆弾だった。一般人をターゲットにした米軍の非道な訓練についてシリーズで伝える三回目。(鈴木祐太/アイ・アジア) <<第1回へ
戦後70年を迎えた2015年7月18日、大阪市である研究報告が行われた。主催したのは「非核の政府を求める大阪の会」だが、この報告会は単なる反核運 動の政治集会ではなかった。模擬原爆が投下された各地から被災者や研究者が集い、研究成果の発表や意見交換が行われたのである。
まず模擬原爆を約20年間にわたって調べてきた元教師の工藤洋三さんが模擬原爆を投下した米陸軍航空軍の509混成団や、模擬原爆投下までの経緯、模擬原爆の特徴を語った。
「原爆投下部隊である509混成団は優秀な人材を引き抜いて作った秘密部隊だった。爆弾や搭載機の初期欠陥を見つけ出し、原爆投下の時に生じる様々なトラブルを事前に解決するためにテストをしていた」。
工藤さんの調査によると模擬原爆が投下されたのは、大阪、神戸、東京など全国30都市で、合計49発が落とされたという。そして、その犠牲者の数 は、分かっているだけでも400人を超えるという。509混成団には陸海軍の精鋭が集められ、当初はウェンドーヴァー(ユタ州)でB-29と模擬原爆を使 用して目標点に爆弾を落とす訓練が行われた。
原爆を投下すると、爆撃機そのものも被爆する危険性がある。回避するには、急旋回して現場を離脱する必要がある。まず、この急旋回の訓練が行われたという。
キューバのバティスタ飛行場も使用して洋上での訓練も行われるようになった。その後、原爆投下の前線基地となるフィリピンのテニアン島の飛行場に拠点を移し、日本を訓練現場にして模擬原爆の投下を始めるのである。