北朝鮮「御用記者」の生態を、放送局記者だったユン・ビョンヒ氏が綴る顛末記の二回目。北朝鮮で記者といえば、党の方針、つまり金日成-金正日思想の伝達者、解説者、宣伝者である。ゆえに幹部たちも取材要請を拒絶できない。新人だったユン氏はたちまち特権を行使することに。(寄稿 ユン・ビョンヒ 整理/訳 リ・ジンス)

テレビは普及しているが、政治と指導者の偉大性に関する番組ばかりで面白くないというのが北朝鮮住民の共通した感想。東部地域で、2007年4月リ・ジュン撮影(アジアプレス)
テレビは普及しているが、政治と指導者の偉大性に関する番組ばかりで面白くないというのが北朝鮮住民の共通した感想。東部地域で、2007年4月リ・ジュン撮影(アジアプレス)

北朝鮮記者の取材手法
当時は「苦難の行軍」真只中であったため、批判記事を書けない国営メディアの性質上、取材対象がとても不足していた。朝鮮で最も大きい通信社である「朝鮮中央通信」ですらも、取材源港を満足に供給できず、配信記事の半分を歌謡曲で埋めていたほどだった。

両江道でも工場や企業所のほとんど全てが操業停止に追い込まれており、主な取材対象は協同農場とならざるを得なかった。配給が途絶したといっても、農業生産は続いていたからだ。

ここで少し取材手法を紹介したい。

取材対象の企業所や協同農場に出向くとまず、初級党秘書(注4)に会い、取材に来た旨を伝えることから始まる。取材を拒む党秘書はいない。朝鮮の記者には、相手に無条件で取材を要求できる特権が与えられている。

ちなみに、取材先での宿泊と食事が保証されるなど、待遇面でもかなり優遇されていた。協同農場ではこのために、常にふたつの宿泊所(合宿場と呼ばれていた)を運営していた。ひとつは党幹部や記者などの特別な客用に、もうひとつは山林保護員、電気監督隊のような労働者のためのものだった。

物資不足がまん延していた「苦難の行軍」の時期にも、幹部用の宿舎には、非常食糧が常に置いてあった。

朝鮮で記者といえば、党の方針、つまりは金日成、金正日思想の伝達者であり、解説者である一方、宣伝者でもある。取材要請を断ることは、党の方針を拒否することと同じと見なされるため、どんな初級党秘書や幹部もこれを拒絶できない。

一方、「いったん取材先に赴けば、一度にできるだけたくさんの取材ネタを確保すべし」という記者の心構えは他の国とさして変わらない。このため、一度取材に出向くと、たいてい1日に6、7件の記事ネタを手に入れようと努力した。3ヶ所回れば20のネタが集まるので、ひと月分の放送内容を確保することができる。

また、他の記者との取材資料のやり取りも頻繁で、直接取材をせずに関連した記事を書くこともよくあった。

工場企業所の取材を行うこともあった。生産が止まっている工場といえども、何かしら肯定的なネタを見つけなければならない。

このため、工場の初級党秘書たちが毎月一度、工場幹部との間で行う「初級党会議」や、分期ごとに開催され全ての党員に参加が義務付けられる「初級党総会」に私は目を付けた。さらに毎週「生活総和(相互批判集会)」があった。

もちろん、「苦難の行軍」時期だったため、これらの会議や集まりは全て形式上のものに過ぎなかった。私の何よりの目当ては毎日の「作業日誌」と毎月の「作業計画書」であった。
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