◆絶たれた希望
2009年6月15日に首都テヘランで数十万人規模の抗議デモが行われた際、デモ行進の舞台となったアーザーディー通りの各所では、学生と思しき若者たちが、「次のデモは土曜日に!」と道行く人々に口頭で伝えていた。
ネットもSNSも遮断されている中では、口伝えという原初的な方法に頼るしかないのだろうが、イラン・イスラム革命をはじめ世界の革命と呼ばれる革命は、きっとこんなふうに街頭で情報が広められたのだろう。
次の土曜日とは6月20日のことである。その前日の19日には、最高指導者のハーメネイー師が説教師を務めるテヘラン金曜礼拝がひかえていた。
改革派のムーサヴィーやキャッルービーを支持する人々は、この金曜礼拝に一縷の望みを託していた。普段、金曜礼拝の説教などには見向きもしない人たちまで、この日の説教だけはテレビに噛り付くようにして見た。自分たちが危険をおかして1週間続けてきた抗議運動について、最高指導者が何かしらの英断を下してくれるのではないかと期待して。
しかし、その期待はあっけなく裏切られた。ハーメネイー師の口からは、再選挙は有り得ないこと、自身がアフマディネジャードを支持していること、そして、これ以上の抗議運動には重い代償が伴うという、デモ終結への最後通牒が述べられただけだった。
「終わった」という思い。あるいは「始まる」という思いを抱いた者もいただろう。「終わった」とは、ハーメネイー師のこの表明によって、法の枠内で選挙の不正を追及し、選挙のやり直しを求める抗議デモを続けていく余地がなくなったということ。「始まる」とは、合法的な抗議運動を継続できない以上、もはや反体制運動に突き進まなければならないということだ。
一夜明けた20日、票の再集計について法的権限を持つ護憲評議会と、選挙結果に異議申し立てをしている3候補が話し合いを行う予定になっていたが、ムーサヴィー候補とキャッルービー候補の二人は欠席した。護憲評議会は無作為に選んだ10%の票の再集計を行なうとしていたが、前日の最高指導者の発言から、こうした再集計が意味を成さないことは明らかだったからだ。
この日、治安維持軍(警察)長官が、いかなる無許可の集会、行進に対しても厳罰で望むと発表した。そして、この日の夕方、デモ行進を予定していた改革派は、大量の犠牲者を出すことを恐れ、行進の中止を発表した。この発表に市民が素直に応じるか否かが、今後の抗議運動のゆくえを占う鍵とされていた。
果たして、19時半、職場からの帰途、私を乗せた車が自宅にほど近いギーシャー橋に差し掛かると、周辺は群衆で埋まり、大騒ぎになっている。前方には黒煙が上がり、多くの車やバイクがUターンして戻ってくるのが目に入った。「この先は行くな!」と大声を上げる運転手もいる。2キロほど先のトーヒッド広場で衝突が起きているらしい。あとでユーチューブにアップされていた動画で確認したところでは、トーヒッド広場ではちょうどそのとき、数百人の人々が数十人の治安部隊に投石を行い、治安部隊を広場から敗走させ、気勢を上げていた。
そのときすでに、テヘラン市街の各地で衝突が起っていた。多くの場所では、トーヒッド広場とは逆に、市民に多くの犠牲者が出ていた。
以前に立ち寄った総合病院に行ってみると、衝突の負傷者や死者が搬送され始めていた。現場を見たという人の周りには多くの人々が集まり、そうした人々の中には、肩を震わせ、青ざめた表情の中高年の夫婦が多い。自分の子供が運ばれて来てはいないかと、心配でここまで来ているのだ。
その場所からでも、催涙弾と思われる、空に響く鈍い発砲音が頻繁に耳に届いた。もう、どこで何が起きてもおかしくない状況だ。
この日、テヘラン市内では数千人から1万人以上の人々が、ムーサヴィー候補の自制を促す声を無視して街頭に出た。そこには、前日の最高指導者の表明に対する失望と怒りがあったのは確かだ。6月20日の騒乱は、最高指導者の権威をこれまでになく失墜させた出来事であったとも言える。
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