記憶に刻まれる家族の叫び声、銃声、血の海
大人に保護されなければ生きられない子どもにとって、家族は安全と保護を象徴している。その親やきょうだいが、うその処刑や脅しなどによって侮辱されるといった精神的な暴力を受けているのを見ることは、子どもの心に深い傷を負わせる。
信頼していた人の無力さを目撃した子どもには、恥、幻滅、無力さといった感情が引き起こされる(19)。家族に対する激しい暴力を目撃した子どもは、自身が暴力の対象となった子どもよりも、より高い睡眠障害を示すこともあるという(20)。
自分の親や家族が殺されるのを目撃することは、子どもの記憶の混乱を招き、苦痛を強める最も強い要因となる。その子どもが、亡くなった両親について考えるとき、彼らが殺される光景-助けを求める叫び声、銃声、両親の遺体周辺の血の海-を思い出してしまう。
そのため、両親の想い出が恐怖を伴うようになり、子どもにとっては、慢性的な苦しみとなる(21)。さらに、戦争は、平和な時であれば親を失った子どもが享受できる社会の支援も奪う。
子どもたちが、両親のことを知っていた人々との接触をもてないことは、亡くした両親との内面的なつながりを築くことをより困難にする。紛争下では、大人たちも彼ら自身の苦しみと悲しみの中にあって、子どもたちに差し出すことのできる支援は限られている(22)。
暴力が日常となっている社会で成長した子どもたちは、乱暴で反社会的な行動をとる傾向があることが指摘されている(23)。子どもたちは、平和な社会における自らのモデルとなる大人像を知らないまま、暴力的な環境を自らの思考方法、記憶に取り込む(24)。(続く)
※本稿の初出は2014年6月発行の「京女法学」第6号に収録された、市川ひろみさんの論考『冷戦後の戦争と子どもの犠牲』です。