学校も標的、紛争で教育に打撃
地方では学校が唯一のしっかりした建造物であることも理由として、攻撃、占拠、破壊の対象となる。教師は、社会的に影響力があるとみなされるため、攻撃の 対象となる。2006年8月からの1年間でアフガニスタンの南部諸州では、133件の学校襲撃事件があり、721校中384校が閉鎖された。
イラクでは2005年に296名の教育スタッフが犠牲になり、180名の教員が殺され、2006年2月から11月の間には、280人の学識者が殺さ れている(39)。このような攻撃は、それに直接巻き込まれた人々に被害をもたらすに留まらない。人々は攻撃をおそれて、子どもたちを学校に通学させなく なる。治安の悪化したアフガニスタンでは、10万5千人の子どもたちが、教育を受けられなかったと推計される。
戦争によって社会全体が疲弊すると、学校教育は量的にも質的にも著しく悪化する。ルワンダの内戦では、教師の3分の2は殺されるか、避難した。北部ウガンダの学校では200人以上のクラスは珍しくない。
子どもたちは、教科書もなく、十分な訓練を受けていない教員に学ばねばらない(40)。学校が閉鎖されたり、教育の質が低下すると、子どもは基本的 な読み書き・計算の能力を身に着けることができない。健康・衛生管理に関する知識が得られないために、子どもたちの罹患・死亡する可能性も高めることにつ ながる。(続く)
※本稿の初出は2014年6月発行の「京女法学」第6号に収録された、市川ひろみさんの論考『冷戦後の戦争と子どもの犠牲』です。