太平洋戦争末期、大阪・高槻市に掘られた巨大地下トンネル群「タチソ」。トンネル群は年々崩壊が進んでいるが、市に保存を求めてもなかなか話が進まない。 戦争の教訓を残さなければならないと、プロのカメラマンにトンネル群の撮影を依頼した。保存活動に取り組む「高槻『タチソ』戦跡保存の会」の橋本徹事務局 長(75)のガイドで12月中旬、「うずみ火新聞」の読者とフィールドワークを行った。(新聞うずみ火/矢野 宏、栗原佳子)
◆消え行く戦争を写真に残す
五つの地区に分けられているタチソのトンネル群のうち、第二地区の「T3」に入った私たちは、続いて「T5」のトンネルへ。こちらは貫通したため入口も大 きいが、2年前の豪雨で斜面の土砂が崩れ、ふさがりかけていた。内側は壁面の一部がアーチ状にコンクリートで補強されているが、それ以外は資材がないため 木の柱と板を打ち付けていたという。コンクリートには、黒いコウモリが何羽もへばりついていた。
「保存の会」の橋本事務局長に案内された、南側のトンネルは天井が陥没した箇所があり、空が見えていた。
「土木工学的にいうと、地表から天井までの長さはトンネルの高さの2倍あればいい。このトンネルは高さ4メートルですから、8メートルあれば大丈夫といわれています。でもこれは地表から8メートルもないでしょう。雨が降ると、このトンネルの中は滝のようになります」
各地の地下軍事施設工事には国鉄の技術者が駆り出された。しかしトンネルを数多く掘った〝プロ〟たちも、軍が要求する通りの設計図を描かざるをえなかったのかもしれない。
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