京都の先斗町のお店で、お客さんの赤ちゃんを抱かせてもらい、大喜びのワリードさん。イラクに家族を残し1年がたとうとしていた。(2012年6月:玉本撮影)
京都の先斗町のお店で、お客さんの赤ちゃんを抱かせてもらい、大喜びのワリードさん。イラクに家族を残し1年がたとうとしていた。(2012年6月:玉本撮影)

いったんイラクに戻ったワリードさんは、カナダを目指すが途中で送還される。再度出国し、昨年9月、17歳の長男とともにトルコを経由してゴムボートでギリシャに渡った。そしてヨーロッパ数カ国を移動して、フィンランドにたどり着いた。

いま彼は、町から離れた森の中にある難民収容施設に仮滞在している。町に出たとき、地元の男たちから侮蔑的な言葉を投げかけられ、不安に駆られたと いう。混乱に陥ったイラクでは命の危険にさらされ、庇護(ひご)を求めて難民になった先では厄介者扱いされる。「自分のせいでこうなったわけではないの に......」。ワリードさんの思いはイラク、シリアから命がけで脱出する人びとの共通の思いでもある。生まれ育った故郷を奪い、隣人関係を引き裂いた 戦争は今も続いている。

まだバグダッドには妻と子どもたち6人が暮らす。フィンランドで言葉を覚えて仕事を見つけ、一緒に暮らしたいと願っている。

【文と写真・玉本英子】

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」1月19日付記事に加筆修正したものです)

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