北朝鮮は現代の国際スポーツ史において、国や人口の規模に見合わぬ輝かしい実績を誇ってきた。体育を国威発揚の有力な手段ととらえ、選手の発掘・育成に国 家的な努力を傾けてきた結果だ。しかし長期にわたる経済の停滞と、生活苦から来るモラル・ハザードの進行などが、朝鮮スポーツ界の屋台骨を蝕んでいる。本 稿の執筆者のキム・クッチョル(金国哲)氏(仮名)は約30年にわたって北朝鮮体育界で指導者として仕事をしてきた人物で、2011年に脱北して今は国外 に住んでいる。体育の専門家による貴重な体験を寄稿してもらった。(寄稿キム・クッチョル/訳・整理リ・チェク)
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朝鮮では、あらゆる競技において「思想戦、闘志戦、速度戦、技術戦」を基本としてプレーすることが求められる。
これは金正日が提唱したスローガンであり、言葉の順番がそのまま、競技で重視される要素の順序になっている。
試合後には「試合総和」と呼ばれる反省会がチーム別、あるいは体育団全体で行われるが、とくに成績の悪かったチームの監督や選手は自己批判をさせられたり、同僚から厳しい批判を受けたりしなければならない。
そのときに議題の中心に据えられるのも、「思想戦、闘志戦、速度戦、技術戦」の競技方式を適切に実行できたか、ということだ。
たとえば「闘志戦」がどんなものかと言うと、「選手は我が身かわいさに(ケガを恐れて)力を抜いてはならず、かならず全力でプレーしなければならない」という考え方だ。
具体例として、サッカーのゴール前での混戦を想像してみてほしい。ゴール目がけて突進するフォワードの前方に、味方選手がふわりとセンタリングを上げたとする。そのまま飛び込んでヘディング・シュートを打てば、得点を決められるかもしれない。
しかしボールの落下地点のすぐ先にはゴールポストがあり、勢い余って頭から激突し、大けがをしてしまう可能性がある――ここで、「迷わず突っ込め!」というのが「闘志戦」のスタイルなのだ。
「試合総和」でヤリ玉に挙げられた選手は、「あの場面で闘志戦を発揮して、もっと果敢に突進していれば......」などと自己批判するわけである。
また、大会での順位や記録が著しく悪かったり、監督や選手の怠慢が見とがめられたりした場合、その過誤の重大さによっては自己批判だけでは済まされず、無報酬労働などの制裁を受けることもある。
ただ、一部では「朝鮮の選手たちは大きな試合での負けると収容所に送られる」といった噂が囁かれているようだが、私自身はそのような話を聞いたことがない。これはさすがに誇張された話だと思う。
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