北朝鮮は現代の国際スポーツ史において、国や人口の規模に見合わぬ輝かしい実績を誇ってきた。体育を国威発揚の有力な手段ととらえ、選手の発掘・育成に国 家的な努力を傾けてきた結果だ。しかし長期にわたる経済の停滞と、生活苦から来るモラル・ハザードの進行などが、朝鮮スポーツ界の屋台骨を蝕んでいる。本 稿の執筆者のキム・クッチョル(金国哲)氏(仮名)は約30年にわたって北朝鮮体育界で指導者として仕事をしてきた人物で、2011年に脱北して今は国外 に住んでいる。体育の専門家による貴重な体験を寄稿してもらった。(寄稿キム・クッチョル/訳・整理リ・チェク)
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◆イラン戦に月給の数倍のプレミア・チケット
試合では負けたものの、2005年3月30日の対イラン戦は朝鮮のスポーツ史の中でも特別なイベントだったと言える。
まず、平壌市民の関心が驚くほど高かった。当局から動員された人もいたが、入場券を買って見に来た市民も多数にのぼり、収容能力7~8万人のスタジアムが通路の階段まで観客で埋め尽くされた。
3000~5000ウォンで売られていた入場券は早々に入手困難になり、一等席は1万~1万5000ウォンもする「プレミア・チケット」となった。 当時の一般労働者の月給が一1500~2000ウォン程度、市場で売られている豚肉が一キロ当たり5000ウォンだったことを考えると、たいへんな高額と 言えた。
スタジアムの外には、色々な食べ物の屋台が立っていた。驚いたのは、新聞販売所で試合に関する広告紙(チラシのような体裁の情報誌=整理者注)を売っていたことだ。
両チームの選手紹介や、試合の関連情報が掲載されており、値段は一部500ウォン。市民の興味に応えるメディアなどゼロに等しかった朝鮮において、そのような気のきいた広告紙が売られていたことに、不思議な思いがした。
後に知ったことだが、その広告紙は試合に対する市民の関心の高まりを受け、中央機関の指示で体育新聞社が作成・販売していたという。
※整理者注
サッカーの高額チケットが国民の間で売買され、試合情報を載せた広告紙が売られるなど、市場経済の色合いを帯びた現象が見られた背景には、2002年7月 1日から実施された「経済管理改善措置」と呼ばれる改革措置の影響があったと思われる。この措置により、それまで非合法だったジャンマダンが自由市場とし て公営化され、国民の個人事業が一部認められた。人々は商売を通じて私有財産を形成し、限定的ながら市場経済を経験することになった。
◆統制不能になった観客
それにしても、試合を見たがる市民たちの欲求には驚かされた。スタジアムが超満員になったのは、チケットを持たない人々が大量になだれ込んだためでもあった。
それでもなお、ゲート周辺は無理やり中に入ろうとする人々がひしめき合い、最初に配置されていた保安員(警察官)だけではまったく歯が立たないほどだった。
群衆は次第に暴走する気配すら見せ始め、中にはゲートの鉄門を壊してスタジアムに乱入する者までいた。人民保安省から増員された保安員が市民を容赦 なくこん棒で殴りつけ、大型の軍用犬(シェパード)が登場するに至り、さすがにいったんは鎮静化した。それでも、負け試合に怒った観客が騒ぎを起こすのま では抑えられなかった。
※整理者注
この試合では、審判の判定に憤慨した観客が椅子をグラウンドに投げつけ、イラン代表を乗せたバスを取り囲む騒ぎが起きた。これにより、北朝鮮はFIFAか ら2万スイス・フランの制裁金を課され、2015年6月8日に平壌で開催される予定だった対日本戦を、第三国(タイ)での無観客試合とする処分を受けた。
試合後、人々は保安員らがいくら命じても帰ろうとせず、スタジアム周辺で騒ぎ続けた。国民があそこまで暴れるのを見たのは、私もあのときが初めてである。「わが国でも、こんなことが起こり得るのか」と、そんな感慨を持ったことを覚えている。
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