元首相の鳩山友紀夫(由起夫から改名)さんの講演会「なぜ、いま東アジア共同体か」が2月24日、大阪市北区で開かれた。経済人や法曹人らでつくる「無葉会」と「国際経済学会」の共催。鳩山さんは、東アジアの国々が様々な分野で協力を進める共同体構想を説明するとともに、首相時代に体験した普天間「移設」問題をめぐるエピソードなども交え、日本の対米従属の実態を赤裸々に語った。(栗原佳子/新聞うずみ火)
◆今も所在の分からない「極秘文書」
2009年9月の総選挙で民主党は大勝。政権交代を実現し、代表の鳩山さんが首相に就任した。普天間「移設」問題では「最低でも県外」を打ち出したが、最終的に「辺野古」の日米合意に回帰。鳩山さんは責任をとるかたちで10年6月、退陣した。在任中は東アジア共同体構想を提唱、議員引退後の13年3月、「東アジア共同体研究所」を設立、構想の実現を模索している。
鳩山さんは「私がなぜ『辺野古』に舞い戻ってしまったか。『最低でも県外』が公約通り実現できなかったのか」と述べ、数枚の文書を示した。「普天間移設問題に関する米側からの説明」と表題があり10年4月19日付。右肩には「極秘」と押印がある。
鳩山さんのもとに外務省と防衛省の幹部が文書を携え説明に来たのは、鳩山政権が鹿児島県の徳之島への移設を検討していた時期。しかし、文書には『ヘリ部隊と演習場の距離は65カイリ(約120キロメートル)以内』という米軍の基準が示されていた。沖縄本島から徳之島まで約200キロ。「基準」をオーバーしてしまう。
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