当時の写真とともに空襲の足跡を辿る『ピースウォーク 大阪大空襲を知る』が3月13日開催された。当時多くの人が亡くなった道頓堀川・戎橋にて(矢野宏)
当時の写真とともに空襲の足跡を辿る『ピースウォーク 大阪大空襲を知る』が3月13日開催された。当時多くの人が亡くなった道頓堀川・戎橋にて(矢野宏)

 

「家に見立てた櫓を立て、『国防婦人会』のタスキをかけた女性たちがバケツリレーを競っていました。その当時は、焼夷弾による火災がバケツの水で消せると思っていたのですね。毘沙門さんの境内には大きな防空壕がありましたが、逃げ込んだ人たちはみんな亡くなったそうです」

吉田さんは71年前の大空襲で両親、2人の姉、弟、同居していた叔父一家4人を含む9人を亡くした。当時10歳だった吉田さんは国民学校4年生で、大阪府岬町にある親戚の家へ縁故疎開していて難を逃れた。

「家族たちは空襲の被害に遭って無念の思いで死んでいったのだろうと思うと、悔しくてなりません。当時は、家族に会えないと思うと悲しくて、不安でたまりませんでした」

吉田さんは戦後、親戚の家を転々とした。

「戦後71年という歳月が流れ、空襲で無念の死を遂げた人たちのことが忘れ去られていることがつらいです」

一行は北上し、道頓堀川へ。観光客や家族連れでにぎわう戎橋で、ガイド役の森田敏彦さん(73)が体験者の手記を紹介した。

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