一夜にして4000人が亡くなった大阪大空襲から71年目の3月13日、空襲直後に撮影された写真パネルと現在の街の様子を見比べながら歩く『ピースウォーク 大阪大空襲を知る』が開催された。空襲体験者を含む20人が大阪・難波の高島屋前から道頓堀川、西心斎橋などを歩き、空襲の惨禍に思いを巡らせた。(矢野宏/新聞うずみ火)
◆若者にも知ってほしい
太平洋戦争末期、大阪は50回を超える空襲に見舞われ、そのうち「大空襲」と呼ばれる、100機以上のB29爆撃機による攻撃は計8回を数える。
最初の大阪大空襲は1945年3月13日深夜から翌14日未明にかけて、274機のB29爆撃機が襲来。3時間半にわたって6万5000発あまりの焼夷弾が投下された。死者3987人、重傷者8500人、行方不明者678人、被災戸数は13万610戸にのぼり、大阪の中心部――当時の浪速区、西区、南区、大正区、東区、西成区、天王寺区が焼け野原になった。
惨禍の記憶が薄れつつあるなか、若い人たちに大阪にも空襲があったことを知ってもらおうと、第一次大阪大空襲から71年を迎えた日に合わせ、「全国空襲被害者連絡協議会・大阪」の事務局が企画した。
高島屋前から南へ数分歩くと、通称・毘沙門天と呼ばれる寺院「大乗坊」に到着。「近くに家があり、子どもの頃によく遊んだ」という吉田栄子さん(81)=大阪府田尻町=が当時の街の様子を語った。
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