しかしその友人は、「私にはもう、<注文>が入っているんだ」と言う。ほかの仲間から、すでに相互批判の相手を頼まれているという意味だ。私は、めげずに食い下がった。
「一人から批判されるのも、二人から批判されるのも大差ないじゃないか。終わったらビールでもおごるよ。それでいいだろ?」
もともと大らかな性格の友人は、ビールにつられるでもなく、笑いながらオーケーしてくれた。
私がここまで食い下がったのも、友人に迷惑がかかることはないと考えていたからだ。
すでに述べた通り、土曜日の午後には政治学習がある。だから午前11時頃から始まる生活総和は、自ずと時間が限られてくる。
そのため会議の進行責任者は、各自が自ら挙げた欠点について説教をするだけで、相互批判で指摘された問題については言及しないのが一般的なのである。
私の「身代わり」になった友人
生活総和を始める時間になり、30人弱の同僚が職場の一室に集まった。会議を仕切るのは部長である。まず、部長が言った。
「周知の通り、金日成同志の誕生日が来週に控えています。社会全体が、この民族最大の祝日を高い労力的な成果(『一生懸命準備して』ほどの意)で迎えようと沸き立っている時期だけに、皆さんも今日この場の議論に積極的に参加してもらいたい」。
続いて一人の同僚が立ちあがり、自己批判を始めた。発言する順番は決められていないが、いつも同じような流れになる。何人かの同僚に続いて、私の番がやってきた。
私はノートに書いておいた内容に、部長が冒頭で話した言葉も加えて自己批判を行った。
「民族最大の祝日を高い成果で迎えるための雰囲気が社会に満ちているにもかかわらず、出勤や退勤の秩序を守ることができませんでした......。今後は社会の雰囲気に合わせ、革命課業の遂行で転換を起こす決意です」。
これに対する部長の説教は、予想した通り、ごく簡単なものになった。
「同務(トンム・同僚に対する敬称)はどうして、それぐらいの秩序も守れないのか。子どもでもあるまいし、少し遅く帰宅して、朝は数分早く出ればい いだけなのに、そんなことができないのは革命的自覚が足りないからだ。将軍様は浅い眠りしか取れず、握り飯を召し上がりながら執務しておられるのに、彼の 革命戦士である私たちが同務のように安易な生活をしていて許されると思うのか。直ちに改めなさい」。
私は胸のうちで安堵のため息をつきながら、いかにもかしこまった調子で「分かりました」と答え、先ほど打合せ済の友人に対する相互批判を行い、席に座った。
普通ならここで、次の人間が立ちあがって発言するはずだった。しかし、この日は違った。部長は私が相互批判した友人に向かって、猛烈な批判を始めたのだ。
「パク同務、ちょっと立ちなさい。私は常々、君には問題があると思っていたのだが、他の同務たちも同じ考えであると分かった。この同務(私のこと)が君の欠陥を正確に指摘した」。
私の発言内容に乗じて開始された部長の批判は、友人が教育に携わる者としての基本的な資質を備えておらず、そのための努力もしていない。これは教員を革命家とみなしてくれている首領と党に対する背信行為であり教員の資格もない、という辛辣なものだった。
私は慌てた。私は友人に対し、大した批判はしていなかった。教育に携わる者としての資質を高めるための学習をもっと頑張ろうと、形式的なことを短く言っただけだ。
だからまさか、このように火の手が広がるとは思ってもみなかった。しかし後から考えてみれば、このような展開も予見できなかったわけではなかった。 というのは、部長と私の友人は犬猿の仲だったのだ。友人を毛嫌いしていた部長は、彼を公然と攻撃する機会を逃さなかったのである。
部長の批判は、「資質を高めるための学習状況を毎日報告しろ」という結論で終わったが、友人が大いに気分を害したのは言うまでもない。私は彼に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも友人は、生活総和が終わると私に声をかけ、「やあ、今日はビールを10リットルはおごってもらわないとな、そうじゃないと承知しないぞ、ハッハッハ」と言って、笑って水に流してくれた。
私はこの日以降、相互批判の対象者を選ぶ際には、より細心の注意を払うようになった。まさか部長ともあろう人間が、生活総和を平職員に対する不満のはけ口に利用するとは。
しかも後で知ったところでは、部長が私の友人を嫌っていた理由は、自分に賄賂を寄こさないからだというではないか。(続く)
※当記事は、『北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」第7号』に掲載されています。
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