(参考写真)北朝鮮には、多種多様な拘禁収容施設がある。写真は短期強制労働キャンプの「労働鍛錬隊」から出て来た収容者。2008年10月黄海南道海州市にてシム・ウィチョン撮影(アジアプレス)
(参考写真)北朝鮮には、多種多様な拘禁収容施設がある。写真は短期強制労働キャンプの「労働鍛錬隊」から出て来た収容者。2008年10月黄海南道海州市にてシム・ウィチョン撮影(アジアプレス)

その後、会寧市では、新たに「復讐説」が流布されていると、X氏は伝えてきた。かつて「22号管理所」に入れられていた政治犯の親類縁者が、身内の恨みを晴らすために、収容所の跡地で無差別殺人に及んだらしい、という噂だ。

これは収容所跡地に移住させられてきた人たちの恐怖心の現れのように思える。「22号収容所」では、数十年の間に夥しい数の人が殺され、墓碑もないまま埋められた。そこに移住させられてきたのは主に農民と役人だが、かつて囚人が使っていた住居棟を住まいとしてあてがわれた。

移住者たちには「恐ろしい場所に来てしまった」とビクビクしながら暮らす人が多いという。そこに猟奇殺人が起こったため自分たちが復讐の標的になっているという「怪談」が広まったのだ。

その後のX氏の報告によると、この猟奇殺人事件は平壌の労働党中央にまで報告されて捜査に拍車がかかり、保安部と保衛部が住民への聞き込み調査を続けているという。だが、16年3月の時点で、犯人はまだ見つかっていないとのことだ。

※追記 「22号管理所」の近況
2012年に閉鎖移転された「22号管理所」は、その多くに他地域の農民を移住させて協同農場として再出発したが、住宅も生活インフラも劣悪で、かつ「元政治犯収容所」という気味の悪さから、以前の居住地に戻る農民が続出。いくつかは農場として機能せず廃墟のような状態だという。現地を調査のために訪れた取材協力者によると、農場の住宅の多くは収容所の収監者たちが住んでいた建物をそのまま使ったが、腰を折らないと玄関をくぐれない超低層の構造だったという。また「22号管理所」跡地には接近できない統制区域が残っており、一部政治犯が収監されたままの可能性もあるとのことだ。

※当記事は、『北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」第7号』に掲載されています。

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