◆「復讐したい」と銃をとるヤズディ青年も
2014年にISがシンジャルを襲撃した際、町を防衛していたペシュメルガ部隊は戦うことなく撤退した。住民は取り残され、虐殺にさらされた。見捨てられたことに不信を抱きつつも、ペシュメルガが編成したヤズディ教徒部隊に加わる青年も少なくない。
8500人の兵士は避難先のキャンプなどから集められた。誰もが家族や親族をISに殺されていた。妻や娘を拉致された兵士のジヤッド・カラフさん(23)は言う。「もちろんISへの怒りと復讐の思いがある。でも、なにより家族を養うにはこの仕事しかなかった」。
シンジャル市中心部は奪還できたが、周辺の町や村の多くはまだISの支配下だ。前線に向かう幹線道路は砲撃や空爆でところどころえぐられていた。崩れ落ちた家屋も目立つ。
部隊がISに攻勢をかけるのは容易ではない。3月上旬には化学物質を装填したと見られる砲弾がIS側から撃ち込まれ、嘔吐したりや昏睡状態になった兵士も出た。部隊司令官は「ヤズディ住民が監禁され、『人間の盾』にされている情報もある。ISは私たちに同胞を殺させようと仕向けている」と、厳しい口調で話した。
◆虐殺の村
虐殺現場のひとつ、ハルダン村には5000人が住んでいたが、うち500人が殺された。まだ調査は行われておらず、遺体は土がかぶされたままだ。草むらには犠牲者の衣服などが散乱していた。
村で小学校の教師をしていたハッジ・スケンデルさん(45)によると児童43人のうち40人が行方不明という。「ヤズディは『邪教』として次々と殺された。女児は戦闘員と強制結婚させられているという。人間のすることではない」と、声を震わせた。
ISは地元住民の関係も引き裂いた。襲撃される前、隣村のイスラム教徒たちがIS戦闘員にハルダン村の情報を伝えたうえ、脱出の手助けもしなかったという。
「イスラム教徒を信じることができなくなった。村に戻れたとしても共存はもう無理だ」。現場を訪れていた村人たちは口々に言った。シンジャル一帯で殺害されたヤズディ住民は数百人を超え、いまも1000人におよぶ女性が拉致されたままだ。
イラク戦争が招いた混乱は未曾有の過激組織ISを生み出し、住民虐殺に行き着いた。人びとの苦しみはいまも続いている。
(4月末に共同通信から全国の加盟紙に配信したものを加筆修正)