4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から30年を迎える。福島第一原発事故とともに、国際原子力機関(IAEA)などが策定した国際原子力事象評価尺度で最悪の「レベル7」であるチェルノブイリ原発4号機の事故は、原子炉が暴走して核爆発を起こしたもので、国境を超える広大な地域を放射能で汚染した。
その主たる汚染物質であるセシウム137の半減期(放射線を出す力が半分になるまでの期間)は約30年だが、原発から半径30Km圏は、今後も人が住めない状況が続くと言われている。
さて、事故から30年を迎えるにあたって、2月に来日したウクライナ科学アカデミーのウラジミール・ティヒーさんは、第112回原子力安全問題ゼミで「チェルノブイリ事故後30年、その意味と現状」というタイトルで講演した。その内容から改めて事故の被害の凄まじさが伝わってくる。
まず避難者であるが、事故の翌日にプリピャチ市から4万5000人が避難し、5月5日までにチェルノブイリ周辺町村の約1万人が避難した。また1986年末までにウクライナで9万1000人が避難し、91年末までにウクライナの汚染地域から約5万9000人が独自に避難したという。
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