再会した佐々木さんはまもなく米寿を迎える。

「あれから1年ぐらいは落ち込みましたよ。でも、2人の孫に『おばあちゃん、叔父ちゃんの分まで長生きしなきゃダメだよ』と言われ、ハッとしたんです」

佐々木さんの楽しみは地元紙への投稿。掲載された記事の切り抜きが随分とたまったので、博敏さんが「まとめて一冊にしよう」と言ってくれた。そんな夢も諦めかけたとき、孫たちが「私たちが本にしてあげる」と言ってくれたという。

「ありがたいねえ。孫たちのためにも100歳まで生きようと気持ちを切り替えたのよ」

とはいえ、佐々木さんが失ったものは少なくない。仏間に真新しい遺影が1枚増えていた。博敏さんの妻、みわ子さんである。夫を亡くしたあと、「たんぽぽ」再建に向けて模索し続けたが、夫に先立たれたショックもあり、震災から1年半後に病死した。

さらに、姉の佐々木トキさん(享年95)との別れもあった。トキさんは津波で家を失い、中学校での避難所暮らしで持病が悪化。千葉県に住む娘家族を頼ったが、周りは知らない人ばかり。震災から1年が過ぎてからは、「高田へ帰りたい」が口癖だったという。トキさんと一緒に避難生活を送ってきた息子の茂雄さん(享年63)も母の後を追うように病死した。

佐藤さんは「3人は『震災関連死』にはカウントされていませんが、明らかに震災が引き起こした関連死だと思いますよ」と語り、こう言い添えた。

「震災は多くの死者・行方不明者を出しましたが、生き残った人々にも不幸をもたらし続けた。それは今も続いています」
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