東日本大震災から5年が過ぎた。岩手県内で最も多い犠牲者を出した陸前高田市では、高さ10メートルを超える地盤のかさ上げ工事が今も続いているが、町を離れる住民はあとを絶たない。かけがえのない人を亡くした悲しみも癒えぬまま、復興のゴールは見えない。(矢野宏/新聞うずみ火)
◆いまも続く「関連死」
「奇跡の一本松」で知られる陸前高田市は5年前の2011年3月11日、最大17メートルを超える大津波に襲われた。死者1602人、行方不明者205人(3月1日現在)。人口2万4000人の8パーセント近くが犠牲になった。
「津波で壊滅した街」を初めて訪れたのは震災の年の7月。すでにガレキは撤去され、更地が砂漠のように延々と広がっていた。わずかに残っていた鉄筋コンクリートの建物の壁面もえぐり取られ、津波の凄まじさを物語っていた。
あれから4年半、かつての更地は巨大な盛り土の下に消え、土色の景色が広がっていた。
今回も陸前高田市出身のジャーナリストで、うずみ火読者の佐藤竜一さん(57)に同行してもらい、佐藤さんの伯母にあたる佐々木道さん(87)を訪ねた。
佐々木さんは次男の博敏さん(享年57)を津波で亡くした。博敏さんは、市街地でデイケアハウスを兼ねた整骨院「たんぽぽ」を経営していた。あの日、客や従業員を先に避難させて逃げ遅れたのだ。佐々木さんは行方不明になった息子を探し、避難所や遺体安置所を訪ね歩く。DNA鑑定を依頼し、「一致しました」という連絡を受けた時、震災から3カ月近く経っていた。
以前、訪ねた時、仏壇には小さな白木の箱が安置されていた。「やっぱりそうかとがっかりしたのと、これで区切りがついたという気持ちと、複雑でしたね。天命だと思うようにしたのですが、ふと思い出しては泣くんだよね。みんなの前では泣けないから……」と語っていた。
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