◆地方都市の女子イレブンの雄姿
1997年夏、北朝鮮から膨大な数の飢民が中国に越境してきていた。取材させてもらった北朝鮮の男性から未現像のネガフイルムを提供された。
「朝鮮社会が混乱する前、まだ民衆の暮らしが穏やかだった頃が少しわかるでしょう。」
という。
いったい何が写っているのだろうか。日本に戻って現像してみると20ほどのシーンが焼きつけられていた。その中の一枚に、私は釘付けになった。20歳ぐらいの女子イレブンの集合写真だった。何かの大会で好成績を収めたのだろうか、選手たちはメダルを首にかけて誇らしげだ。
選手の体操着の胸には恩徳(ウンドク)とある。中国国境に近い咸鏡北道の炭鉱町だ。かつて阿吾地(アオジ)と呼ばれ、北朝鮮の人々にとっては最果ての貧窮の地というイメージがある土地だ。
フィルムに打たれた日付は1993年7月。地方で餓死者が発生し始めた時期だ。建物の壁の塗装は剥げ、窓にはガラスがなく板が打ち付けられ ている。未曽有の大飢饉の少し前とはいえ、当時の経済はどん底だったはずである。よく女子サッカー競技が運営されていたものだと驚いた。北朝鮮の人たちに とって、それほどサッカーは特別なスポーツなのだろうか。
北朝鮮のスポーツ事情に詳しい脱北者に写真を見てもらったところ、大きな企業に所属する体育団(チーム)だろうとのことだった。サッカーは 北朝鮮で最高の人気スポーツで、人民軍や企業が傘下にチームを抱えて選手を優遇している、試合には多くの観客が詰めかけ、贔屓のチームの応援に熱くなり、 判定を巡って時に喧嘩沙汰になることもあるという。
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