金正恩体制発足後、最大の行事となった第七回労働党大会。平壌に集められた参加者たちには大会日程も知らされず、携帯電話も取り上げられるなど、情報が徹底して管理されていたことが分かった。(カン・ジウォン/ペク・チャンリョン)

党大会終了後の11、12日、咸鏡北道に住む複数の取材協力者は、次のように伝えてきた。
「党大会参加者たちは道に集まって(平壌に)出発したが、いつ、どうやって行ったのかもわからない。 家族と連絡できないよう携帯電話も所持が禁じられ、平壌から電話することも許されなかった」と証言した。ここでいう道とは道庁所在地の都市ことで、咸鏡北道の場合は、清津市に集められた模様だ。
今回の党大会の日程に関する情報は、警備のため徹底して秘密に付された。参加者の選抜は二段階に渡って行われたが、二回目の選抜は平壌で行われる予定が4月初旬に突然キャンセルされた。また6日から始まる党大会がいつ終了するのかも公表されず、2-6日までと宣布された特別警備期間も、開会後に突然「10日まで」と変更された。
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