2014年8月、武装組織「イスラム国」(IS)はイラク北西部シンジャルとその周辺地域に暮らすヤズディ教徒を襲撃した。イスラム教に改宗しない男性たちは殺害、3000人を超える女性がIS支配地域へ連れ去られた。女性たちはIS戦闘員と強制結婚させられ、現在も1000人以上が拘束されたままだ。拉致された女性に何が起きたのか。昨年秋、IS戦闘員のもとから決死の脱出ののち、家族の元に逃れることができた女性に話を聞いた。彼女の名はサリマ(18・仮名)。現在はヤズディ被害女性のケアをするドイツの団体の支援を受け、ドイツに仮滞在している。このインタビューは今年4月、ドイツでおこなった。(取材:玉本英子)
◆拉致後、女性を集団連行し戦闘員に分配
私はシンジャル近郊のある町に家族6人で暮らしていました。大都市モスルが6月にISに制圧されたため、私たちの地域は、住民が自警団をつくっていました。8月のある夜、ISが突然、町を襲撃しました。圧倒的な武器の前に自警団はなすすべもありませんでした。翌朝、住民は近くのシンジャル山へ逃げようとしましたが、途中でISの男たちに捕まってしまいました。このとき、私は母と一緒にいましたが、他の家族がどうなったのか分からないままでした。
銃をつきつけられ、女性は男性たちと引き離されました。子どもたちも一緒でした。このまま殺されると思っていました。ところが女性たちはバスに乗せられました。連れて行かれた先はモスルでした。そこではホールのようなところに、集められたたくさんの女性と子どもたちが詰め込まれていました。
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ホールにはISの戦闘員が女性たちを見にやってきました。そして彼らは気に入った女性を連れて行きました。最初に若い未婚女性、幼く若く美しい少女を選んでいきました。ある男が未婚の私を見定めたようでした。私は彼の家へ連れていかれ、イスラム教に改宗させられました。拒否することなどできませんでした。
◆「いっそ殺してほしい」とまで思いつめ
彼の名前はアハマド(仮名)。20代のアラブ人です。シンジャル郊外の町でISの部隊長をしているということでした。彼は腫れあがった人差し指を私に見せて言いました。「なぜか分かるか。多くのヤズディを撃ち殺したからだ」
彼はすでに結婚していて、家には妻と子ども4人がいました。私は「第二夫人」にされたようでした。「第一夫人」は私より年上で、私のことを蔑みの眼で見ていることがすぐに分かりました。ひとつの家にアハマドと、夫人家族と、私が一緒に暮らすことになりました。家事仕事のほとんどを私がやらされました。そして夜にはアハマドから(性的な)行為を強いられました。私は恐怖に怯えるばかりでした。
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彼は家にいるとき、何か気に入らないことがあるたびに、棒や水道のパイプで私を激しく殴りつけました。ある日、私はひそかに持っていた家族の写真を見ながら、ひとりで泣いたのを見つかったことがあります。彼は激高し、その写真を私の目の前で破りました。
「お前には父も母もいない。お前はイスラム教徒なのだから、ヤズディの写真なんか見て泣くな」と怒鳴られました。私はもう、どうなってもいいと思い、「私を殺せばいい。死んで呪ってやる」と彼に言いました。その時、私は死ぬつもりでいました。いっそ早く殺してほしいとさえ思いました。
彼は「なぜお前は私を呪うのだ。お前はそんなことを言う立場にすらない」と、何度も私を殴りました。暴力を受ける日々に耐えられず、脱出を試みたこともあります。夜明け前に家を抜け出そうともしました。しかし、すぐに捕えられ、暴行を受けました。罰として部屋の中に監禁され、食事がもらえなかったことも何度もありました。(つづく)
ゾロアスター教の流れをくむといわれるが、イスラム教やキリスト教の影響も受けている。イラク、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らす。イラク国内には最も多く、およそ60万人が暮らし、クルド語を話す。フセイン政権下では迫害され、イラク戦争後はイスラム武装勢力から「悪魔崇拝」として狙われてきた。ヤジディ教、エズディ教とも表記される。
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