◆犠牲者2800人。米戦闘機、逃げ込んだ市民らを機銃掃射で狙い撃ちも
太平洋戦争末期、大阪市北東部で2800人余が犠牲になった第3次大阪大空襲から71年を迎えた6月7日、旭区生江3丁目の千人塚で慰霊法要が営まれた。あいにくの雨にもかかわらず、空襲体験者や遺族ら70人ほどが参列し、犠牲者を追悼した。
城北公園の北側を走る淀川堤防に「千人つか」と刻まれた石碑と小さな社がある。
第3次大空襲で千数百人もの犠牲者が埋葬された場所で、「千人塚慰霊法要協賛会」の東浦栄一会長(87)が父親から受け継ぎ、私費財を投じて毎年、慰霊法要を営んできた。
昨年、戦後70年の節目の年を迎え、「慰霊法要は最後にしたい」と語っていたが、遺族らの要望を受けて継続した。
大阪では、B29爆撃機が100 機以上来襲した大空襲が計8 回あり、6 月7日、城北公園付近を襲った無差別攻撃は最も凄惨だった。
次のページ:400機を超えるB29が焼夷弾を次々に投下し...
1 2