400機を超えるB29が焼夷弾を次々に投下し、P51ムスタング戦闘機が城北公園の堤防へ逃げ込んだ市民らを機銃掃射で狙い撃ちした。
犠牲者の中には、徳島県から軍需工場に学徒動員された女学生たちもいた。

東浦会長も城北公園へ逃げ込み、惨状を目の当たりにした。「頭を打ち抜かれ、手足を飛ばされた人、肉片が木にひっかかっていたりして、まさに地獄絵でした」。

身元不明の遺体は千数百体余り。淀川堤防に運ばれて火葬された。
この日の法要では、参列者が黙祷をささげた後、犠牲者を偲びつつ焼香し、静かに手を合わせた。(矢野宏:新聞うずみ火)

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