ところが実際、観光でミャンマーを訪れると、最大都市ヤンゴンなどでは音楽CDやサングラスを買い求めたり、喫茶店で腰を下ろしてお茶を飲みながら煙草を口くわえ、お布施で得た紙幣を数えている僧侶に遭遇します。これがあの戒律の厳しい上座仏教の教えの土地なのかと、目を疑うような光景を目にすることになります。いったい上座仏教の僧侶は厳しい生活をおくっているのか、はたまたそうでないのか。
1980年のサンガ法(僧侶法)によってミャンマー仏教は9つの宗派に分かれ、戒律の厳しいシュエジン派の僧侶の姿は、托鉢以外ではあまり目にすることはありません。私たち外国人が街中で日中見かける僧侶は戒律の緩いドゥータマ派の僧侶で、僧侶の違いにがることに気づくのに時間がかかるのです。
外国人は、街角で見かける戒律の緩い僧侶たちに対しても、ミャンマー僧侶に対して持つ敬虔な仏教徒のイメージを重ね合わせるのです。実際、ミャンマー社会で暮らしてみると、信仰としての上座仏教と日常生活の仏教(現世利益を求める)はどうやら共存していることに思い至ります。
また外国人にはあまり知られていませんが、現地の人びとの生活の中には「表の上座仏教」に対して「裏の精霊信仰〈ナッ信仰〉」があまねく存在しています。(つづく)
<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題(3)へ
【関連記事】
◆ <ミャンマー>フォトジャーナリスト・宇田有三報告(4)反イスラームの僧院で
◆ <ミャンマー>取材20年の成果を写真集に宇田有三さんに聞く(上)
◆ <ミャンマー>フォトジャーナリスト・宇田有三報告(3)青い眼の人びとが暮らす村
1 2