ヨンサムと対話を重ねていた頃、折しも小泉純一郎首相の訪朝があり、金正日氏が拉致を認めて謝罪した。彼は女子中学生まで拉致していた事実に驚き、深く同情した。「自国民を飢えて死なせる政権なんだから、日本人拉致なんて犯罪と思っていないに違いない」と憤った。
ヨンサムたち北朝鮮の人々と付き合いを深めながら、私は拉致問題を日本人と朝鮮人の間の民族問題にしてはならないと強く感じるようになった。当時、日本社会には北朝鮮に対する報復・懲罰感情が溢れ、「やり返せ」「締め上げろ」という言葉がメディアにも飛び交った。
朝鮮総連関連施設が攻撃され、朝鮮学校生への嫌がらせ事件が続発した。これはお門違いも甚だしい。北朝鮮の独裁政権は糾弾されるべきだ。しかし、北朝鮮に住む民衆や一般の在日コリアンは、拉致とは何の関係もないし責任もない。
日本人拉致は、北朝鮮政権が、かつて国を奪った「憎き日本人」に復讐するために行ったのではない。冷戦下、韓国に浸透するための工作活動に日本人が巻き込まれた事件だったのである。拉致問題のせいで日本人と朝鮮人が諍うのはあまりに不幸である。
ヨンサムはというと、もちろん私の求めに応じて北朝鮮の庶民の思いや暮らしを詳細に語ってくれた。
「独裁政治が一日も早く終わって国を開いて欲しいと、誰もが願ってるに決まっているでしょう!」
ヨンサムが、口癖のように、そう繰り返したことを思い出す。
冥福を祈りたい。