「イラクのヒロシマ」と呼ばれるハラブジャの町で

ハラブジャ虐殺記念館のモニュメントの前に立つ参加者たち。「戦争ではなく、平和を」の横断幕を持ち、訴えた。(ヒクメット・ファイード氏提供)
ハラブジャ虐殺記念館のモニュメントの前に立つ参加者たち。「戦争ではなく、平和を」の横断幕を持ち、訴えた。(ヒクメット・ファイード氏提供)

 

8月6日、イラク北東部ハラブジャで、広島・長崎の原爆犠牲者を追悼する集会が開かれた。ハラブジャは1988年のイラン・イラク戦争の末期、旧フセイン政権によってサリンなどの毒ガス兵器が撃ち込まれ、一般市民5000人以上が殺害された。化学兵器攻撃の悲劇を日本の原爆投下と重ね合わせ、住民たちは町を「イラクのヒロシマ=ハラブシマ」とも呼び、8月に追悼集会を開いてきた。
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記者会見ではハラブジャ化学兵器被害者協会の男性が「広島、長崎の原爆投下は大量殺戮という意味でハラブジャと同じ。大量破壊兵器が世界で再び使われることがあってはならない」と話した。(ヒクメット・ファイード氏提供)
記者会見では参加者を代表して、ホシュマンド・ムラッドさんが「広島、長崎の原爆投下は大量殺戮という意味でハラブジャと同じ。大量破壊兵器が世界で再び使われることがあってはならない」と話した。(ヒクメット・ファイード氏提供)

 

追悼集会が開かれたハラブジャ虐殺記念館には今年50人が集まった。参加者のひとり、ホシュマンド・ムラッドさん(32)は4歳の時、ハラブジャ攻撃で両親や親戚30人以上を失った。両親の遺体を見たことが忘れられないという。現在、イラクでは武装組織イスラム国(IS)が各地で戦闘を続けているが、一部で化学兵器を使用したとも伝えられ、住民には不安も広がっているという。
「再びイラクで化学兵器が使われたと聞くのは悲しい。国際社会の協力でなんとか止めてほしい」とホシュマンドさんは電話でのインタビューに答えた。

イラクや世界の平和を訴えるハラブジャ住民。28年前の1988年、この町にイラク軍が投下した化学爆弾で5000人が命を落とした。(ヒクメット・ファイード氏提供)
イラクや世界の平和を訴えるハラブジャ住民。28年前の1988年、この町にイラク軍が投下した化学爆弾で5000人が命を落とした。(ヒクメット・ファイード氏提供)

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