7月にダッカで発生したテロ事件。日本人7人を含め20人を殺害した実行犯の一人・カイルルの実家はバングラ北西部の貧しい農村だった。取材に応じたカイルルの母と姉が怯えた表情で語ったのは…。国際ジャーナリスト宮崎紀秀の現地報告の四回目。(アイ・アジア)
カイルル・イスラム・パイエル(22歳)の生家はバングラデシュ北西部のボグラ県にあった。ダッカ中心部から車でボグラに向かう途中、国土を東西に分けるジャムナ川にかかる長い橋を通過する。等間隔で並ぶ橋桁が美しいフォルムを作る長さ4.8キロに及ぶ巨大な橋は、実は日本の円借款で建設された。カイルルがこの橋を通って首都ダッカに向かいその結果日本人を殺害したのかと考えると無性に切なくなった。
ダッカから4時間ほど走ったあたりで車が幹線道路を逸れる。舗装道路は泥道に変わり茂った緑に囲まれた道幅は一気に狭くなった。車を下りて雨にぬかるんだ泥道を歩くと、裸の子供や伝統衣装サリーを纏った女性たちが視界に入った。農村だった。少し歩くと村人が集まっている。ロープにかかった洗濯物の後ろにトタンでできたバラックのような建物が見えた。
警察や地元メディアが訪れるなどしてすっかり有名になっていたのだろう。そこがカイルルの生家だった。家の前の少し開けた空き地には干し草が積んであり、屋根だけがある牛舎には繋がれた2頭の牛が寝そべって草を食んでいた。
カイルルは現場で治安部隊が射殺した5人の実行犯の中で唯一貧しい家の出身だった。村人たちは当然、カイルルのことを知っており「性格は内向的だった」とか、彼が隣の村にあるイスラム教の神学校、マドラサに通っていたことなどに触れ、「宗教的な人物だった」などと評した。一人の男性に日本や日本人と接触した経験があるか聞いてみると次の様に話した。
「日本に行った人は金を稼ぐ。日本は金を稼ぐにはいい国だ。私たちが知っているのはそれくらいだよ」
家には父と母が住んでおり、事件後は近くに住む長女が両親の世話に来ているという。カイルルは末っ子で2人の姉がおり、次女はドバイで働いているという話だ。
村人に案内されるようにトタンの扉をくぐって部屋の1つに入ると、サリーに身をまとった母と長女(26歳)がベッドの上に並んで座っていた。怯えて肩を寄せ合っているようにも見えなくもなかった。ベンガル語の通訳を通じて日本の記者であり取材の意図を伝えもらったが、農村で生まれ育ち読み書きができないという彼らがどれほど理解したかは正直よく分からなかった。
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