ロヒンギャ・ムスリムの難民キャンプ内の市場にバナナの幹を運ぶ男の子。(ラカイン州にて撮影 宇田有三)
ロヒンギャ・ムスリムの難民キャンプ内の市場にバナナの幹を運ぶ男の子。(ラカイン州にて撮影 宇田有三)

<特別連載>ミャンマーのロヒンギャ問題(1)へ

Q. 改めて「ロヒンギャ問題」とは何なのでしょうか?
A.
 無国籍状態に追いやられたロヒンギャ・ムスリムが、人間としての尊厳や人権を奪われたまま放置され続けているということでしょうか。

A.バングラデシュ政府や、ロヒンギャたちが実際に暮らしているミャンマー政府は、ロヒンギャの受け入れを拒否しています。彼ら彼女たちは、無国籍状態として行き場所がないのです。今の世界で、無国籍状態になるということは、どこからも保護されないということですし、ロヒンギャ難民が避難する関係国では、彼ら彼女たちが自国の国籍を持っていないということで、保護しなくてもよいという言い訳ともなっています。

Q. ミャンマーとバングラデシュの両国を挟んで、その辺り事情がよく分からないのですが。
A.
 ここで重要な事柄を押さえておきましょう。

ミャンマーとバングラデシュの国境が画定したのは1966年です。ロヒンギャ・ムスリムの出身地であるチッタゴン丘陵はその時すでに、バングラデシュ領域内でした。

Q. ミャンマーの独立が1948年ですね。バングラデシュとの国境画定が1966年だとすると・・・。
A. 
両国間は、人種・民族に関係なく、人びとの移動はある程度緩やかだったでしょう。

バングラデシュは、インド→パキスタン領東パキスタン→バングラデシュと経て、最終的に1971年に独立します。バングラデシュは、パキスタンとの間の関係がより深刻な問題でしたのでミャンマー側への関心は相対的に低かったと思われます。ミャンマーの独立後も18年間ぐらい人びとの往来はある程度自由だったと推測されます。

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