民間では「月利30%」の闇金融が跋扈し、それを煽るように、国家も突然「実利」を求め始めた。そしてこれが明けた1996年新年の新しいスローガンになった。すると、債権者も早速、新しい時代のやり方で貸付金の返済を求め始めた。貸す時は旧時代でも、その6か月後に返済を求める時は断然新しい時代のやり方だった。新時代にもそれなりの道徳がないわけではなかったが、「貸すのはバカ、返すのはもっとバカ」とみなされた。

私に支払能力がなさそうだと見立てると、取立人たちは服から台所の釜まで、ありとあらゆる財産をすっかり吐き出させて、まず元手相当分をなんとか回収すると、今度はすぐさま利子の分として、まだ家族が住んでいる国家住宅の「差押権」を見知らぬ第三者に勝手に譲渡してしまったのである。

多くのチンピラを押し立てて、私と私の家族を路上生活に追いやることになる「住宅差し押さえ」の場には、大学の労働党書記が来て、それをやめさせようと努めた。しかし、新しい時代には、党書記もすでにただの個人に過ぎなかった。

このような「差し押さえ」は、もともとの住宅制度では全く不可能なことであった。だが、国家統制機関の役人は、賄賂をくれる「差し押さえ者」の味方になってしまうのだ。このようにして、「差し押さえ」という一種のリンチが、公権力による不正的保護下に白昼に行われたのだ。※

もうそこには、没落した食糧配給制度の上に立っていた旧時代の政治的権威など、カカシも同然だった。この無秩序では「山犬」(強盗)や「狐」(詐欺師)になれなくては、とうてい生存競争に勝つことはできなくないと、異口同音に、全国民が話していたのである。

こうして、多くの健全な党員と知識人、技術者が自ら死を選択して、自宅のオンドルで静かに目を閉じたのだった。旧時代の「核心分子」たちが自殺すると、「犯罪に手を染めることすらできない、つける薬のないマヌケ」と大衆に揶揄された。忠実に尽くした国家によって無視され放棄されるという冷たい仕打ち。それは、時代の大変化と既存のシステムの崩壊を物語っていた。(続く)

※整理者注
国有財産の国家住宅は、個人が所有も売買もできなかったが、その使用権を取引する形で公然と売買されるようになった。

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