6 市場拡大による「階級陣地」の動揺
韓国に亡命した元労働党書記の黄長燁は、1996年12月に金正日が金日成総合大学で行ったとされる演説文を持ち出していた。演説のなかで金正日は農民市場について次のように触れている。
「このように農民市場と商売人たちだけが栄えると、人々の内に利己主義が助長され、党の階級陣地が崩れることもありえる。そうなると、党は大衆的基盤を失いへたばってしまうかもしれない。これは、以前ポーランドとチェコスロバキアで起こった出来事をよく言い表している。」(韓国の雑誌「月刊朝鮮」1997年4月号)
衣食住と教育、医療を国家が保障するという「社会主義の優越性」の観点からも、またカロリー源を国家が握ることで民衆を統制支配する「糧政」の観点からも、金正日は農民市場の増殖―闇市場化を資本主義の萌芽とみて、危機感を抱いていたことが窺われる。
金正日のこの演説から20年近くが経った。労働党や金正日が指導したわけでも、法制度を大きく変えたわけでもないのに、闇市場から拡大した市場経済は、当局による追認と抑制を繰り返しながら、すっかり北朝鮮社会に定着することになった。
とはいえ、北朝鮮政権は、社会主義と計画経済体制を放棄したわけではない。毎年4月に開かれる最高人民会議では、前年度の国家予算執行の決算と新年度の国家予算計画について報告、討議、承認をする。しかし、2002年以降、国家予算及び工業生産額、穀物生産額は、対前年の増減率が公表されるだけで、金額が未発表という異常事態が続いている。建前になってしまっている計画経済が、もはや自国通貨による指標も示せない状態に陥っていることを示しているといえよう。※4
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