父親が示したタブレットの中にあった息子サミーの写真。撮影宮崎紀秀
父親が示したタブレットの中にあった息子サミーの写真。撮影宮崎紀秀

日本人7人を含め20人が殺害されたバングラデシュの首都ダッカのテロ事件。犠牲者は日本人の他、イタリア人、インド人などほとんどが外国人だった。レストランを襲撃した実行犯は、人質にした客や店員の中からイスラム教の経典コーランを唱えられなかった者を選別し、銃ではなく鋭利な刃物で殺害したとされる。治安部隊が射殺した実行犯5人のほとんどは裕福な家庭の出身で、高い教育を受けた10代後半から20代の若者だったという。彼らは、なぜ外国人、異教徒に強い憎しみを抱き犯行に及んだのだろうか? 国際ジャーナリスト宮崎紀秀が、バングラデシュの実行犯たちの故郷を訪ねた。(アイ・アジア/宮崎紀秀)

◆実行犯サミーは裕福な家庭の18歳

事件発生から4日後の7月5日。雨の中を事件現場となったレストランのある大使館街から車で約30分走った。軍関係者が多く住むという静かな住宅街に大きく張り出たベランダが特徴的な白い壁の6階立てのマンションがあった。そこが実行犯の1人ミール・サミー・ムバシール(18歳)の家族が住むマンションだった。

雨に濡れまいと1階部分の駐車場に駆け込むと、すでに外国の通信社など数名の記者やカメラマンが来ていた。なぜならこの前日、米紙・ニューヨーク・タイムズがサミーの父親のインタビューに成功し紙面を飾っていたからだ。その父親はマンションの警備員を通じて日本のメディアの取材には応じる意向を伝えてきたが、身の安全を考え多くのメディアに曝される事態や特にバングラデシュ人との対面に躊躇していたようだった。

その待ちぼうけ状態はおそらく1時間以上続いたが、最終的には他の記者たちも父親本人の意向を聞き入れ、その時までにマンションに来ていた日本の新聞記者と民放テレビの記者とカメラマン、それに私を含めた日本人4人だけが面会する運びとなった。

警備員が私たちを連れエレベーターで5階に上がり、その階にある一室の呼び鈴を押すとすぐ扉が開いた。上着の丈が長いバングラデシュの民族衣装、パンジャビーを纏った中年男性が現れた。沈鬱さを湛えた彼の潤んだ大きな瞳が私たちの姿を捉えた。実行犯、サミーの父、ハヤト(53歳)だった。

同氏は右手を差し出し握手を求め、英語で「どうぞ入ってください」と、わずかにかすれた声で静かに言い、客を招き入れた。通されたのは2組のソファセットが置かれ優に10人は座れる大きなリビングルームだった。広さでいえば12畳は越すだろう。

大きな窓には長いカーテン、窓のない壁には絵の額がかかり、ソファとソファの間に置かれた小さな台には磁器のスタンドや花瓶が置かれている。調度品にアジア人らしい趣味を感じるものの、「居間」よりは「リビング」の呼んだ方がしっくりくる西洋風の部屋である。一目みて裕福さが伝わったし、何よりイスラム過激思想に染まった男の実家というイメージが結びつかなかった。(続く)

宮崎紀秀
1970年生まれ。元日本テレビ記者。警視庁クラブ、調査報道班などを経て中国総局長。中国滞在は約8年。北京在住。

 

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