行く手に小さな小競り合いが見えた。そこは北からの道路がぶつかるT字路で、やはりこの先のハフテティール広場を目指す人の流れが次々と合流していた。治安部隊が展開し、そこで人々の流れを食い止めていた。ハフテティール広場行きをそこで阻止するつもりらしい。
プロテクターで身を固めた治安部隊は、10人ほどの単位で行動し、騒ぎの場所へゆっくりとにじり寄っては、デモ隊を後退させる。時おり乾いた空砲が聞こえるが、催涙ガスはまだ使われず、衝突も起きていない。しかし、誰か一人でも投石を始めれば、一気に騒乱が始まる緊迫した気配に満ちていた。
退路を確保しながら、しばらく様子を見ていると、道路の向こうで一人の青年が治安部隊に取り押さえられた。その途端、辺り一帯から、「ウォー」と鬨の声が上がる。この声には、いつも戦慄と興奮を覚える。それを武者震いと呼んでは、取材者として不謹慎だろうか。だが、どうしようもなく身も心も高揚して、一緒に雄叫びを上げたくなるのだ。もし彼らと声を合わせることが出来たなら、もし共にこぶしを突き上げることが出来たなら、恐れはそのまま勇気に変わり、きっと怖いものなど何もないという気持ちになれるのだろう。この戦慄と興奮、そして連帯感に人は恍惚となり、この感覚を得たいがために、恐怖を押し殺してまで、またデモの只中に足を運んでしまうのかもしれない。
それからほどなくして、治安部隊の前で後退する人の流れとともに、私はヴァリアスル広場に戻った。そこもすでに多くの改革派市民であふれ、あちらこちらからスローガンの合唱が聞かれた。
すでに11時半近かった。とっくに職場に着いていなければならない時刻だ。旧アメリカ大使館はおろか、ハフテティール広場にさえこの様子ではたどり着けないのは明らかだった。騒乱を前に立ち去る悔しさと安堵の両方を覚えながら、私は市バスに飛び乗った。
バスはテヘラン市街を南北に貫くヴァリアスル通りを北へ向かう。行く先々で、気勢を上げる人々の姿を路上に見た。治安部隊との衝突も始まり、催涙ガスに逃げ惑い、互いにタバコの煙をかけ合う人々の姿もあった(煙は目の痛みを消してくれる)。
バスは治安部隊のバイク部隊と何度もすれ違う。彼らは無線で連絡を受けては、あちこちを転戦しているようだ。そんなバイク隊の一つが、私の乗った停車中のバスとすれ違おうとしたとき、若者たちがバスを盾にしてバイク隊目がけて一斉に投石を仕掛け、バイク隊も銃口をこちらに向けた。恐らくゴム弾とは思うが、バスの乗客たちも慌てふためき、「ドアを閉じろ!」、「早くバスを出せ!」と口々に運転手に叫んだ。
突然、バスの後部半分の女性エリアから、改革派学生の愛唱歌「ヤーレ・ダベスターニーエ・マン(学友たちよ)」の合唱が始まった。溌剌としたその歌声を聞きながら、私はこの混乱がこの先もしばらく続くだろうと強く思った。この国がこれまで、国民と体制の団結を内外に誇示するために執り行ってきたパレードや官製デモは、今、反体制を叫ぶ舞台として、変化を求める市民に絶好の機会を与えている。こうした官製デモやパレード、セレモニー、記念日の類いは、それこそ年に10回以上ある。その一つ一つが危険な暴発をはらむものだとしたら、はたして政府はその全てに正しく対処してゆけるのだろうか。
※1 世界ゴッツの日
イランイスラム共和国の創始者、故イマーム・ホメイニー師が世界に呼びかけた、パレスチナへの支持を表明するための記念日。「ゴッツ」とはイスラエル占領下のエルサレムを指す。イランではこの日、全主要都市で反米、反イスラエルを叫ぶ大規模な行進や催しが行われる。
※2 「ホセイン」は預言者ムハンマドの孫であり、シーア派3代目イマーム。シーア派イスラム教徒にとって抵抗と殉教というイデオロギーの象徴的存在。「ミールホセイン」は改革派デモの指導者ムーサヴィーのファーストネーム。この両者を並べてシュプレヒコールとすることで、改革派デモの正当性を訴えている。
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