◆母ちゃんたちに魅かれ、カメラを向けた
東日本大震災から5年半、福島原発事故で全村避難の指示が出た飯舘村の女性2人を追ったドキュメンタリー映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」が今年5月から公開されている。東京・横浜・名古屋に続き、今月から大阪市、神奈川県厚木市、10月には福島市で上映される。古居みずえ監督に、映画に登場した「母ちゃんたち」の近況を聞いた。(アジアプレス・ネットワーク編集部)
飯舘村に全村避難指示が出され、畜産農家は牛を手放し、住み慣れた故郷から県内の仮設住宅に避難した。古居監督は、事故直後から被災地をまわり、飯舘村の女性たちの姿をカメラに記録し続けた。これまでパレスチナ問題を取材してきた監督にとって、住民が故郷を追われることはパレスチナの人びとの姿と重なった、と話す。
飯舘村で農業などを営んでいた菅野榮子さん(80)と菅野芳子さん(79)は現在も仮設住宅に暮らす。震災から5年が過ぎ、ようやく新しい環境に慣れてきたという。
政府は来年3月末に、飯舘村の帰還困難区域を除き避難指示を解除すると発表。2人は、帰還するべきか、残るべきか悩んでいるという。山に囲まれた村ではすべての除染は不可能で、安全性に問題があるということ、そしてなによりも、この5年の間に避難場所でやっと構築できたコミュニティーがバラバラになることが辛いそうだ。子どもや孫はすでに移住し村へ戻ることはない。そのため、戻ったとしても以前のような生活を送ることはできず、村に独りで暮らすことへの不安は大きい。
それでも2人は、いつも冗談を言い合い、笑顔で満ち溢れている。そこには「笑ってねぇど、やってらんねぇ」という思いがあるからだ。映画には実にたくさんの料理が登場する。近くの農園でとれた野菜で作った漬物や、村に伝わる味噌や凍み餅(しみもち)などだ。こうしたシーンが、飯舘村の住民たちの生活を伝えると同時に、それを大きく変えた事故の重さをあらためて考えさせる。
「お母ちゃんたちに起きたことが、私たちに起きないとはいえない。2人の暮らしや思いを通して、人ごとではないことを知ってほしい」。古居監督は今後も飯舘村を見つめていくつもりだ。
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