闇市場を徘徊する大人のコチェビ。2000年3月清津(チョンジン)市にて撮影キム・ホン(アジアプレス)
闇市場を徘徊する大人のコチェビ。2000年3月清津(チョンジン)市にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

 

◆野良犬のように食べ物漁っていた大学の同僚

<アボジだなんて? まさか…>

注意深く見ると周辺の人々から足げにされで、鼻血を流す一人の大人のコチェビが私の目を引いた。

彼は飛び散った最後の一切れの白菜でも自分の口に入れるようと必死になって、痛みを我慢しその場で頑張るグループにいた。野良犬でも、こういう状況では餌を捨てて逃げ出すのではないか。「食って死ねるならば怨念はない」という流行語を証明するかのように食べ物に飛びついていたのは他でもないこの少女の父、つまり私の大学の同僚であった。

私は衝動的に前に出て、彼をしゃにむに引っ張ってその場から連れ出した。私は言葉も捜せず、手がぶるぶる震えて、何をしたらいいのか全くわからなかった。軍服務を終えて一流大学を卒業し、大学の研究室に配属された有望な科学者だった彼が、はたしてこのコチェビに間違いなかった。美しい妻と結婚して一人娘が生まれ、喜びだけの日々を送っていた彼が、間違いなくこの野良犬のような人物と同一であったのだ。

彼のような髪の毛を「カササギの巣」と表現するのだろう。久しく洗っていない顔は、石炭を塗ったといっても言い過ぎでないほど煤けていた。汗と食べカス、泥がまぜこぜに塗りたくられた雑巾みたいなボロ着の下には、下着もつけておらず肋骨が浮かび上がっていた。
履物の一方は古びた便利靴(安い運動靴)で、片方は大きさの違う女子用のビニール靴だった。

その上に驚いたのは、私が腕で感じた彼の体重が、まるで子供のようだったことだ。彼は自分の娘のことはあきらめていたのか、でなければ忘却したのか、全く関心を表さなかった。
言動も姿も表情も体の臭いも、すっかり変わり果ててしまった彼が、私のことを認知したということ自体に無理があるかもしれないが、私の気持ちは、彼が私を認知したと断定した。

時計を売った残りの金で手当たり次第に食べ物を買うと、私たち三人は彼の家に向かった。 (続く)
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整理者注
※権力者たちは、国内生産分であれ外国からの支援分であれ、穀物を横領してタダ同然で酒を密造し販売することができたということを意味すると思われる。

 

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