「苦難の行軍」とは何だったのか? ある脱北知識人が経験した飢饉の正体(1)へ
◆腐臭、汚臭漂う闇市場の略奪劇
ジャンマダン(闇市場)の中は、汚水と泥土が踏みにじられて沼のようなドロドロの道だったが、他に足の踏み場もなく履物の中の自分の足はすでにぬるぬるの状態であった。風呂に入れない人々の臭いと、野菜が腐った臭い、魚の臭い、家畜の臭い、肉売り場からの血なまぐさい臭い、それらが混ざりあって漂い息が詰まる。その中でも断然強く鼻と目を刺激するのは、人の糞尿の臭いであった。
○○ジャンマダン(闇市場)は直径が約3百メートルもある。常時万単位の群衆が密集する場所であり、物流の中心の場所だ。そこに、当時公衆便所などの衛生施設は一つもなかった。ただあるのは、周囲を囲んだだけの深さ10センチ足らずの、流れることもない溝がすべてだった。用便に関する道徳をすべて投げ出した購買者たちはさておき、販売者兼警備員でもある商売人たちは、昼間の12時間、ずっと自分の商品に縛られて一歩も現場を離れることができない。
言うまでもなく、飲食する商売人には必ず用便がある。しかたなく女性たちも大勢の前で、スカートや風呂敷で隠して、その場で用をたし、その排せつ物が人々が行き交う道に垂れ流される、そんな有様であった。
そんな様子を観察しながらいろいろ考えたため、私の歩みはついつい遅くなった。日が暮れる頃、ようやく時計を売って、次は少女に靴を買って履かせようとしたところ、突然近くで騒ぎが起きた。本能的な防衛意識で少女を庇いながら騒ぎの方を見ると、ソバを売っていた母娘をコチェビの一群が襲ったのだった。
次のページ:電灯もなく安全でないジャンマダンは、日没と同時に閉場し商人らはすべて帰ってしまう...