私はジャンマダン(闇市場)へ向かった。その少女も、私の後を着いてきた。区域に一つしかないジャンマダンに通じる道は、入り口の手前数百メートルから、道の両脇に二列に露店が並んでいてその終わりが見えないほどだ。
商 売に勤しむ人々は、少し前まで「商売人は小ブルジョアの反動だ」と絶叫し、思想闘争の場で批判の熱弁を吐いていた人々である。この時点でも、商行為は、制 度としては明らかに違法行為であり、なんとか黙認されているにすぎなかった。それにしても、社会全体を180度急変させた力は、この共和国のどこに潜んで いたのだろう。客を引こうと声をかける<商売人気風>を、人々はいったいどこに隠していたのだろう。セイコーの古時計を売って少女の靴を買おうとジャンマ ダンにやって来た私は、不覚にもこのような疑問を解くことに無意識に没頭していた。
ジャンマダンの中心に近づけば近づくほど、人波をかき分けて進むのがますます難しくなっていった。老若男女の区別なく、胸や肩、頭、背中、膝、足の甲がめちゃくちゃに擦れ合い踏みつけ合い、ぶつかり合った。他人の拳やひじ、カバンなどが四方から私にぶつけられた。
あまりに騒々しくて、「気をつけなさい」と注意する私の声は、後をついてくる少女の耳に入らなかった。ジャンマダンでの言葉使いは荒っぽく、丁寧な敬語では力がなくて誰も応対してくれない。私のポケットにあったガスライターがいつのまに消えていた。気温が低い秋の夜明けには小枝でもかき集めて体を暖めるための貴重なライターであった。
「牛失ってから牛小屋を直す」と言うが、ジャンマダンの人の集りは決して旺盛な購買力を表していないということを、私はこの時初めて発見した。共和国各地において、ほとんど唯一の物流センターとなっていたジャンマダンに集まってくる人の過半数は、概して個人的または組織的な窃盗や詐欺を目的としており、チャンスを狙ってジャンマダンを巡回しているのであった。
身震いするような無秩序の天国が、他ならぬこのジャンマダンであった。 (続く)