<承前:死の淵から戻り、まだ意識が朦朧としていた筆者は、床の周囲に集まった友人たちの会話を聞きながら、北朝鮮という国の正体を探ってやろうという知的欲求が沸き起こった>
「苦難の行軍」とは何だったのか? ある脱北知識人が経験した飢饉の正体(1)へ
◆飢えと同時に知的渇望が芽生える
「今の時代は、死ぬより生きることのほうがずっと困難なのだ。なぜならば、私たちは、人間の死と苦痛にも心が動かされない社会で生きているからだ。仮に、私に地獄の経験があるならば、やはり同じ認識を持つかも知れない。今、明白なのは、私たちがどこにやって来たのか、どこへ行こうとしているのか、また、どの方向に向かわなければならないのか、それらを誰も自信をもって知っている者がいないという点だ。
暗闇の中で台風に身を任せているようなものなのだ。この大いなる未知によって、朝鮮全国が不安に包まれている。こんな時代、このような社会は、歴史的には繰り返されてきたのだろうが、人々は飢えと同時に知的渇望も感じるようになったのだ。これまでとは違って、人々が生きようと努力することは、すなわち知ろうと努力することである、そんな時代に変わりつつあるのだ。今のように『多くの事を学べる時代』もめったに無いだろう」
このような友人たちの会話を聞いて、私にも、確かにこの社会は、足を踏み間違えて巨大な未知の暗黒世界に入ってしまった感じがした。もう一つ記憶に残っているのは、横になったままその話を聞いていた私の頭に、ふと、北朝鮮でよく引用される「金亨禝先生(金日成の父)の三大覚悟」に、自然に到達した気がしたのである。「金亨禝先生の三大覚悟」とは1殴り殺される覚悟、2凍死する覚悟、3飢え死にする覚悟のことだ。革命家育成にとって必須体験であるという。
家も無くしてしまい、餓え死にから蘇生した私は、さしずめ、「三大覚悟」のうちの二つに自然に到達していたのかもしれない。私は、いまだにこの国のことをほとんど知らない。だからこそ、死ぬのなら、この国のすべてを探し回って、この国のことを徹底的に理解した後に死のう、そのような知的意欲に掻きたてられるようにして、私は伏した床から起き上がった。
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