バスはゆっくりと治安部隊の前に進み、私は帽子を深く被りなおした。バスの扉が開いた。乗り込んできたのは一組の親子連れで、治安部隊ではなかった。怖くて、バスの外を見ることも出来なかった。

イマームホセイン広場を過ぎると、もう大きな広場もなく、バスはテヘランの街外れへと向かって行くだけだ。私はいくつかのバス停をやり過ごした後、バスを降りた。

もと来た道を戻るためのバスを待つ間、ふとこれまで幾度も繰り返した疑問が浮かんだ。自分はいったい何のためにこんなことをしているのか、と。取材らしい取材も出来ず、写真も撮れず、そもそも大手メディアに発表する気もない。自分がやらなくても、今夜のBBCやVOAには市民の撮った写真や動画、そして彼ら自身の肉声が無数に寄せられ、真実の多くを語ってくれることだろう。それ以上の仕事、役割を自分が担えるとは思えない。ならば何のために今日ここに来ているのか。

半年にわたって続いたこの騒乱の顛末を自分なりに見定めたいという思い。それはただの自己満足に過ぎないだろう。でも、そんな思いすら捨てて、デモに来ることをやめたとき、もうイランに居続ける理由すらなくなってしまうように思えるのだ。

治安部隊のバイクが20台ほど、そしてその後を追うように救急車が1台、イマームホセイン広場に向かって疾走してゆく。しばらく逡巡した後、私は市街中心部へ戻るバスに乗り込んだ。

ところが今度のバスは、イマームホセイン広場にすら行かず、その1キロほども手前で迂回路に入ってしまった。どうやら市街中心部の状況はさらに混乱を増しているらしい。
その後バスは渋滞にはまり、午後2時前、私は諦めて地下鉄に乗り換えた。大幅に遅刻だが、もう勤め先に向かわなければならない時刻だった。

この日の夜の報道では、結局私が目にすることの出来なかったエンゲラーブ広場からイマームホセイン広場までの区間で大規模な騒乱が発生し、国営メディアで死者4名、拘束者300名が伝えられた。
当局の発表では、死者4名のうち1名は陸橋の上から何者かによって突き落とされ、2名は車にひかれ、1名は何者かによって銃撃され、警察は全ての事件について捜査を進めているという。銃撃によって亡くなった1名は、改革派の指導者ミールホセイン・ムーサヴィーの20歳の甥だった。当局はこの日、一発の実弾も撃っていないと発表した。

国営テレビはこの日、暴徒らがアーシュラーの追悼行事を襲撃したり、車両に放火したり、公共財を破壊したとし、イランの反体制組織MKOの工作員数名を逮捕したと報じた。
革命防衛隊に近いファールス通信も、この日の死者4名が、こうした国外要因の工作によるものであり、死者から検出された銃弾もそうしたテログループが使用する非常に稀なタイプのものだと報じた。
テレビでは、マイクを向けられた市民が、暴徒による破壊活動をよどみなく非難して見せるインタビュー映像が繰り返し流れた。曰く、「当局はもっと断固たる対応を!」、「やつらは何の目的があって公共財を破壊するのか?」、「謀略だ!」、「アメリカの手先だ!」、「我々の敵だ!」……。

イスラムの聖典コーランには、敵対する者、アッラーの道を遮る者とは妥協なく戦えと繰り返し述べられている。この国の政府は、改革派という、同じイスラム教徒であり、同じイラン人である一部の市民をすでに‘敵’と見なし、体制派市民にもそう喧伝して憚らない。

同じように、抗議デモに参加している改革派市民も、現体制の指導部を明確に自らの敵と見なしている。政府による弾圧は日に日に激しさを増してゆき、それに対する抵抗も、より破壊的、先鋭的なものになっている。この分断の行き着く先は何なのだろうか。

「ホセイン」は預言者ムハンマドの孫であり、シーア派3代目イマーム。シーア派イスラム教徒にとって抵抗と殉教というイデオロギーの象徴的存在。「ミールホセイン」は改革派デモの指導者ムーサヴィーのファーストネーム。この両者を並べたシュプレヒコールは、改革派デモの正当性を訴えているものとして、これまでのすべてのデモで叫ばれてきた。

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