◆「この組織は異常だ、と気づいた時はもう遅かった」
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チグリス川の豊かな恵みをたたえるイラク第二の都市モスルを、武装組織イスラム国(IS)が制圧したのは、2014年6月。イラク軍は、自爆攻撃やゲリラ戦の前にあえなく敗退した。キリスト教徒やイスラム教シーア派住民の地区では財産を没収して土地から追放した。(玉本英子)
「どうしてこんなことに……」
IS制圧後のモスルから、携帯電話で私に話したのは40代の教員サアドさんだった。見つかれば「スパイ」として処刑も免れない。それでも、発信場所を変えながら、連絡をくれた。ISが独自解釈したシャリーア(イスラム法)が布告され、統治が始まった。外国人戦闘員が跋扈(ばっこ)し、広場で公開斬首が繰り返された。電気供給は1日2時間になり、物価は高騰して、生活は困窮するようになったという。
イラク駐留米軍が2011年にモスルから撤収すると、シーア派主導のマリキ政権が強権をふるうようになり、スンニ派が多数を占めるモスルでは、不当逮捕や拷問が繰り返された。こうした背景から、ISが町を掌握したとき、それを受け入れる住民も少なくなかった。「イスラムを名乗るが、この組織は異常だ、と気づいた時はもう遅かった」と、サアドさんは言った。
その後、ISが携帯電波塔を撤去し、情報統制を強めたなか、市民は隣接するクルド自治区のかすかな携帯電話網の電波を拾いながら、支配地域外の親族と密かに連絡を取り合った。サアドさんは町に残るという。「クルド自治区に脱出できたとしても、避難民キャンプのテント暮らしは高齢の両親には過酷です」。その後、彼からの連絡はなくなった。
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