朝鮮語に「コチェビ」という言葉がある。辞書には載っていない。つまり隠語。韓国語にはなく、北朝鮮で使われてきた言葉だ。
1997年、大量の越境難民が北朝鮮から中国になだれ込んでいた。北朝鮮でいったい何が発生しているのか? 中国吉林省の延辺朝鮮族自治州で取材に当たっていた私は、越境難民と片端から会い、内部の状況を聞き取りした。
難民らは口を揃えた。「『コチェビ』が闇市場や駅の待合室に溢れ、食べ物を盗んだり、物乞いをしたりしている。死体が転がっている」と。聞いたことのない「コチェビ」という単語。それは、家を失い、街を彷徨う「浮浪者」「浮浪児」のことであった。
「コチェビ」は辞書に載っていない。韓国の友人の誰に訊いても、知らない、語源もわからないと言う。韓国語では、コ=花、チェビ=ツバメである。つまり「コチェビ」は「花ツバメ」の意ではないか、という。
食べ物を求めて彷徨う姿が、花から花へと飛び回るハチドリのようだとして、北朝鮮で定着したのだろうという。朝中国境地帯で難民保護活動をしていた人たちが、この「花ツバメ」説を韓国に伝え、すっかり定着してしまった。
ある時、インテリの年配の脱北難民にインタビューした際、「コチェビ」の語源について尋ねた。彼は「花ツバメ」説を言下に否定した。
「これはロシア語由来なんですよ。ロシア語で 『流浪の』『遊牧民』を意味する『コチェボイ』という単語があります。朝鮮戦争停戦後、復興支援などで来ていたソ連人たちが、家を失って彷徨う人々を見て「コチェボイ」と呼び、それが転じて『コチェビ』になったんです」。
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