◆治安警備と住民理解の獲得
イラク・モスルで治安回復任務にあたっていたイラク軍。市内の警備に加え、重点的に取り組んだのが、住民の支持を得ることだった。武装組織各派は政府に冷遇された社会層や地元部族に接近して、協力させ、拒否すると攻撃対象とした。イラク軍は武装組織が貧困層に浸透するのを阻止するため、住民支援を進めた。その後、シーア派のマリキ政権が宗派色を強め、スンニ派住民や部族に反発が広がる。武装組織各派は住民の不満を利用しながら、のちにイラク・シリア・イスラム国(ISIS)に合流し、モスルを制圧、イスラム国(IS)を名乗る。ISが統治する以前のモスル現地取材と、その後のIS支配下の宣伝写真などを交えた解説の第3回目。(玉本英子)
<モスル>イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る(1) (写真9枚)
<モスル>イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る(2)(写真7枚)
関連写真:ISに処刑されたクルド・ペシュメルガ兵の妻
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