そうした経緯を踏まえれば、インドとの原子力協定は慎重の上に慎重を重ねなければならなかった。政府は、インドが2008 年に核実験のモラトリアム(一時停止)を宣言したことを協力の「基礎」に位置づけたという。
そして「基礎が変更された場合に(協定停止の)権利を行使できる」としているが、それで良かったのであろうか。
事あるごとに「唯一の戦争被爆国(最近は新聞記事などでも『戦争』の文字が入るようになった)」と自国を形容し、広島・長崎の原爆忌では「核兵器の廃絶」を訴えている安倍首相は、核実験をした場合の協力停止を、譲れない一線として協定に盛り込む責任があったはずだ。
協定締結にあたって、長崎市の田上市長が発表した次のコメントが、全てを物語っているであろう。
「核兵器を保有し、NPTに未加盟のインドと原子力協定を締結することについては、核物質や原子力関連技術・資機材の核兵器開発への転用やNPT体制の空洞化への危惧があることから、被爆地の自治体として日本政府に対し、過去4 度に渡り、インドとの原子力協定交渉の中止を要請してきました。今回、日本政府がインドとの原子力協定に署名されたことは、被爆地として極めて遺憾です」。
そうした声を無視して結ばれたのが、日印原子力協定なのである。(高橋宏/新聞うずみ火)
日印原子力協定(2)問題先送りで原発輸出~道義的責任はないのか>>> へ続く
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