2016年11月16日、約9か月ぶりに議論を再開した参院憲法審査会では、自民党議員が9条について、「自衛隊の位置づけが明確でなく、自衛隊への否定ともとられかねない」と述べ、改正の必要との認識を示した。「自衛隊は実際にあるのだから憲法に明記すべき」という主張に対し、どう考えればいいのか。日本史の観点から大阪大大学院助教の北泊謙太郎さんに、憲法学者の立場から神戸学院大教授の上脇博之さんに話を伺った。(矢野宏/新聞うずみ火)
北泊さんが指摘した日本国憲法の制定過程におけるポイントは二つ。
一つは、ポツダム宣言を受け入れて降伏した以上、ポツダム宣言に違反するような憲法は国際法上許されなかったこと。
二つ目はGHQ(連合国軍司令部)が制定を急いだ理由について。1946年2月26日に極東委員会が発足して、当時のソ連や中国、オランダなど強硬派により、天皇制廃止・天皇戦犯訴追の圧力が強まる前に天皇制を維持する方向の憲法をつくっておきたかった、ということ。
北泊さんは「GHQは天皇を訴追するのではなく、象徴天皇として残したいと考えていた。それを憲法に書き込みたいという思惑があったので、『象徴天皇制』とセットで9条の『戦争放棄』が入ってきた。『天皇の名の下で侵略戦争は行わない』と内外に宣言するために、戦争放棄の条項を入れた」と説明する。
1946年1月24日、当時の幣原喜重郎首相がマッカーサーと面談。後にマッカーサーは「この会談で幣原首相が戦争放棄の規定を入れる努力したいと述べた」と証言しているが、幣原の関心事は天皇制の維持だった。
GHQ案も、そのあとのGHQ案を受けた政府案も「戦争放棄」をうたってはいたが、「平和主義」に関する文言は入れられていなかった。北泊さんは「マッカーサーは戦争放棄を構想していたが、国際平和というのは、マッカーサーの考えとは相容れないもので、考えていなかった」という。
1946年4月の総選挙後に開かれた第70回帝国議会で、政府案に「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という平和主義の文言を入れるよう提案したのは、当時の日本社会党議員で憲法学に精通した鈴木義男や森戸辰雄らで、「世界に向かって積極的に平和を打ち出すことを宣言すべきだ」という思いからだ。
それゆえ、北泊さんは「9条は帝国議会を経て生まれたもので、押しつけというのは当たらない。戦犯だった岸信介や公職追放された鳩山一郎らGHQとの憲法をめぐる厳しいやり取りに関わっていない保守政治家が改憲を主張し、その系譜が安倍首相らにつながっている」と指摘する。
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