◆平壌が自由だったという感想
平壌が意外に「自由」であったという感想も多かった。例をあげよう。
「重要人物と対話したりすることができた。また、平壌市民と制限なく自由に会話することもできた」(「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」小倉京大教授)
「参加した学者たちの驚きは、市民と自由に対話することが許されたこと、高麗ホテルから個人的に外出して自由に歩き回ることを許されたことだった。日本でこれまで、平壌市内の平壌ホテルは外出が許されるが高麗ホテルは許されないという話が流布していたので、これは訪朝者にとって大きな開放だった」(2012年5月の田中宇氏のウェブマガジンの記事「北朝鮮で考えた」)
「市民と制限なく自由に会話できた」「自由に歩き回ることを許された」というのは、当人が「そう感じただけ」のことである。会話は相手があって成立するものだ。平壌市民に、外国人との会話に制限・制約がないとでも言うのだろうか? 高麗ホテルの周囲から少し足を延ばせば、申告されてホテルに連れ戻されるシステムになっていることをご存知ないのだろうか? これも呑気というか、無邪気だと申し上げざるを得ない。そのようなシステム=カラクリについては後述する。(続く)
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