“夫”の兄が住むモスルに出かけるたびに、病院に連れて行ってもらえることなった。そこで、“夫”が使っていた携帯電話で、姉とひそかに連絡をとった。親族は、1万ドル(約110万円)を工面し、IS地域からの脱出を手引きするブローカーに依頼した。サリマは携帯の指示に従い、すきを見て病院から逃げ出した。手配された協力者のタクシーに乗り込み、ニセの身分証で検問を越え、クルド自治区にたどり着いた。
「絶望して自ら命を絶った女性もいると思うと、うれしい気持ちにはなれません」。サリマの友人の多くがISに殺され、1年以上に及んだ拉致生活で深い心の傷を負っていた。いまも戦闘員に追われる夢を見るという。「きっとまたISに襲われる。アラブ人やイスラム教徒、そして政府も信用できない」。彼女は思いつめたように話した。
国連の独立調査委員会は、ヤズディ教徒迫害をジェノサイド(虐殺)と認定。ドイツは人道団体を通じて、ISの元から脱出した女性や子ども2000人を支援、希望者には難民申請の道も開いている。ヤズディ社会では未婚女性の貞操が重視されるが、未曽有の悲劇を前に、コミュニティーは被害女性を受け入れるよう呼びかけた。
取材から半年後、ドイツの施設で心療ケアを受けるサリマから連絡があった。ヤズディの難民男性と婚約したという。笑顔で並ぶ2人の写真が添えられていた。ドイツで始まったサリマの新しい人生。戦火の人々に希望がもたらされる一年になることを願いたい。【玉本英子】
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」1月17日付記事を加筆修正したものです)
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